Biography (Japanese)

ABOUT ME


-This page explains myself in Japanese.-

藪内達也(やぶうちたつや)
1989年10月、奈良県生まれ。高校卒業までは地元で過ごす。

小学校・中学校時代は至って平凡な子供。地元の中学校は県下有数の不良中学で、一夜のうちに窓ガラスが80枚割られたり、廊下をバイクが走ったり…という伝説があるところだった。幸いにも僕の学年はおとなしく(代わりに陰湿だったが)、比較的平和な中学校生活を送る。
しかし、中学校1年の担任だった教師が嫌すぎで、「先生になったらこんな風になるんや」と思い、この時に早々と教師の道をあきらめてしまう。

高校進学は考えていたが、特に行きたい高校があるわけでもなかった。しかし、テストでもそこそこの成績を残しており、友達の多くから「藪内は〇〇高校に行くんやな〜」と冗談半分で言われたのを鵜呑みにし、家から近いこともあり、そこに進学する。

高校は進学校だったため、基本的に毎日勉強。運動が得意でも全然なかったため、小学校の時に覚えた将棋を楽しむサークルで週1日の活動をする以外は、授業の予習復習や本を読む、完全「インドア」派の生活を送る。

小学生の時から鉄道好きで、毎月図書館に行っては鉄道同人誌と時刻表を借りて、家で貪り読んでいた。高校生になってから、鉄道旅行の楽しさに目覚め、「140円近畿一周」や青春18きっぷを使った旅に、休みになっては出かける。
また、漆黒の闇を駆ける夜行列車(ブルートレイン)に対する強い憧れがあり、高校2年になる春休みに、廃止間際の「出雲」号の全区間乗車を達成。同じ寝台で出くわした旅人との出会いが忘れられず、完全に「そっちの人」となり、旅にのめり込んでしまう。

また、小学校高学年の時からラジオ英語講座をひたすら聞き続け、高校進学時から「将来は語学・国際系の大学に進んで勉強したい」と思うようになる。
高校でも、2年進学時に国際系コースがあり、クラス分け志望を出したが定員割れのためあえなく人文科学系(一般文系)に進む。高校二年の夏に初海外で、オーストラリアへホームステイをし、己の英語がある程度通じることを実感する。

大学進学を控えて、関西圏の国際系の大学・学部に進学しようと模索。当時存在した大阪外国語大学は、入学年に統合により大阪大学外国語学部となり、入試情報・具体的な学問像が分からなかったため、神戸大学国際文化学部に進学することを決める。

大学時代は、神戸の震災がきっかけにできた災害支援・地域振興の団体に参加し、主に神戸周辺の識字教室との関わりを持ち続ける。専攻は言語学(翻訳)で、日本の独自文化が英語にどのように翻訳をされているか(またはその逆)について研究をしていた。

大学二年から三年に上がる春休みに、二ヶ月間海外でインターンシップに参加。人生二度目の渡航が、非英語圏の東欧ポーランド、かつ長期滞在・日本人が他にいない、という特殊な環境だったため、渡航前はビビりまくっていたが、この二ヶ月の経験で自身の価値観や軸に大きな変化を迎える。途中、パスポートをはじめとする金目のものを全て盗られ絶体絶命になるも、奇跡的なヘルプもあり、ほぼ無傷で帰国。

ポーランドでの経験をもとに、学外にも積極的に出て行き、大学三年の秋口から、ベンチャー企業の立ち上げに携わる。もともと従来の就職・就職活動に大きな疑問を持っていたため、インターンを通して「就職だけが進路ではない」と気づく。

大学4年に上がる春休みには、友達と二人でインドに行き、現地の日本語教育機関を訪れ「日本を紹介するフリーペーパー」を配布。完全自費プロジェクト・就活完全ブッチだったが、とても面白く、エキサイティングな経験だった。

大学卒業と共に地元に帰り、求人広告の代理店で仕事を始めるも、仕事の内容や職場に多くの違和感を持ち、5ヶ月で退社。現在は奈良県を主な拠点として、様々な「ナリワイ」を作り出しています。


現在奈良を拠点に行っている活動は、以下の通りです。

1、フリーの翻訳家×ウェブデザイナー×デザイナーの日本プロデュース事業「Japan Produce」
http://tatsuyayabuuchi-world.com/(ウェブサイトは準備中)

「個人の可能性」をコンセプトに、様々な分野のプロを集めて、インバウンド観光向け翻訳や日本企業(商品)の海外プロデュース事業(翻訳・通訳)等を行っています。


2、特定非営利活動法人「ならゆうし」
http://narayushi.com/

「奈良で働く」「地域で仕事を作る」「若者が活躍場作り」などのコンセプトで、NPOの運営を手伝っています。


3、奈良NIGHTLIFE
http://blog.livedoor.jp/naranightlife/

「奈良公園で鹿を見たり、大仏は見るけど、夜には奈良にいない」という多くの人向けに、「お酒と食事がおいしい奈良の夜の店」をブログで紹介しています。


現在はこれらを基軸として、「仕事のタネ」を作っている最中です。




【興味・関心】
一人旅/海外生活/マイクロ起業/複業/インバウンドツーリズム/着地型観光/脱消費社会/グローバル化とローカル化/「仕事」から「生活」へのパラダイムシフト/「幸福」「豊かさ」の具象化/「個」と「国」と「企業(組織体)」の有機的結合/「市場経済」の席巻と行く末/(日本の)雇用・教育制度に対する疑問と根底からの変革/複雑系/イノベーション/デザイン志向

○日本の「大学進学→就職」という「当然のレール」に疑問を持っています。僕はその道から外れましたが、「なんのために大学に進むのか?」「仕事のために生きるのか?生きるために仕事をするのか?」という疑問を持ち、自分に問い続けることで生きてきています。人生は多元的、多様であることを生き様を通して伝えて行きます。
日本を訪れる外国人観光客に対して知られていない日本の魅力を伝える方法を模索中です。マスツーリズムを脱却し、多嗜好化・多様化する「個」のツーリズムのニーズを集め「着地型インバウンド」「観光翻訳」のジャンル確立に向けて動いています。
○【ゼロから1を生み出す】従来の就職・雇用という枠を超えて個の力で何かを生み出す/作り出すことに注力して行きます。SNSを通じて「個」として世界に挑戦できる時代になりました。前例が少ないいばら道だからこそ、進んで行きます。
○【農業は最強のリスクヘッジ】今の世の中では、仕事をしてお金を稼ぎ、稼いだお金を生きていくための生活用品や食料を交換しています。すなわち「自分の時間と健康をお金と交換し、さらにそのお金を消費して商品と交換している」のです。しかし、「お金と交換する何か」がなくなってしまうと、どうなるでしょうか?今の私たちに必要なことは自分自身をお金と交換することではなく、食料や生活に必要なものを、自分たちの力で作り出す自活力だと考えています。そのためには、わずかでも自分で食べ物を栽培してみる、家具を作ってみる、などの実体験を増やすことが不可欠だと考えています。様々な仕事を自ら作り出すナリワイを世界各地でこしらえていきます。
○【自分自身のローカル化】ここでのローカル化とは「様々な地域に溶け込んで、自活力を高める」ことを指しています。日本を問わず世界各地に巣を作り、移住を繰り返しながら生きていきます。お金を稼ぐ能力仕事を作り出す能力を融合して生活していく必要性を日々痛感しています。
○【「人」と「原体験」】僕は「人」が好きです。人は皆、何かしら自分の人生に影響を与えるような、自分自身のことや将来について考えるきっかけになった原体験を持っています。一人ひとりが持っている原体験と、その人の目指す方向などを、地域や年代を超えて汲取っていきたいです。




【英語・諸外国語・海外経験】
10歳の時からひたすら英語を勉強しています。市販のラジオ講座テキストを使って勉強し純国産の英語話者・使用者として生きています。

その他の外国語の学習経験は以下の通り↓
○英語:上級(各種日英/英日翻訳の経験有)
○ロシア語:初級(簡単な挨拶程度)
○フランス語:初級(簡単な会話のやりとり程度)
○ポーランド語:初級(簡単な挨拶程度)
○中国語(標準語):初級(簡単な会話程度)

また、これまで5度海外に行く機会を作り、単なる旅や語学研修を越えて、様々なことに挑戦してきました。
オーストラリア10日間語学研修として(2006年7月・16歳)
→「語学研修」としてのプログラムでしたが、自分の英語(発音や会話、各種表現等)がある程度通用することを身をもって知りました。

ポーランド2ヶ月:日本文化を教える文化交流プログラムとして(2010年2月〜4月・20歳)
→ポーランド語が母語の国で、多世代多国籍の人たちと共に過ごしました。「共通言語としての英語」の有用性・必要性を強く認識し、かつ世界中で日本の文化に興味を持っている人がいることを知ることができました。
当時の生活やプログラムの様子をまとめた記事はこちら。
・AIESEC公式ブログはこちら
・個人ブログでのまとめはこちら

インド2週間:「インドと日本を繋ぐフリーペーパープロジェクト」(個人プロジェクト)として(2011年3月〜4月、21歳)
→日本語学習者が多いインドの教育機関等を訪れて、自費出版した「日本を伝えるフリーペーパー」を配って2週間インドを渡り歩きました。
ポーランドでの原体験があって、このインドがありました。友達との共同企画で、国内取材から英文化、記事作成、出版等、全て自力で行いました。自分のしたいことを形にすることの醍醐味を知りました。
当時を振り返った資料はこちら(slideshare)

ヨーロッパ漂流6週間:「目的地を決めず、ご縁を大事にし、SNSを使いながらヨーロッパを流れる」という旅をしました(2012年2月〜3月、22歳)
→行く先々で聞いた観光情報等をもとに次の目的地を決め、結局10カ国24都市を訪問しました。旧来の知人や新しく出会った人に多くお世話になりました。改めて自分の足を運び、目で見て肌で感じ、頭を使って考えることの重要性を確認しました。
参考:当時のルート
フィンランド・ヘルシンキ〜サーリセルカ〜
ノルウェー・カラショーク〜アルタ〜ナルヴィク〜
スウェーデン・ストックホルム〜ヨーテボリ〜
デンマーク・コペンハーゲン〜
ポーランド・シフィノウィシチェ〜ポズナニ〜コシャリン〜ワルシャワ〜ヴロツワフ〜クラクフ〜ザコパネ〜
チェコ・プラハ〜
スロバキア・ブラチスラバ〜
オーストリア・ウィーン〜
ドイツ・ミュンヘン〜フュッセン〜ダッハウ〜
フランス・パリ〜ニーム
CouchSurfing等を利用して6週間を25万程度で回ってきました。

中国7日間:夏休みにバックパックで行ってきました(2012年8月、22歳)
→上海、杭州、蘇州の三都市をやや足早に回りました。新興国の突き抜けるエネルギーが好きです。

ポーランド二ヶ月+韓国(ソウル)
(2012年10月〜2013年1月)
→仕事を辞めて、当時精神的に参っていたのですが、幸運なことに以前お世話になったポーランドの知り合いから、二ヶ月程仕事のヘルプをして欲しいという依頼を頂きました。ポーランドの片田舎で日本語を教えつつ、在宅ワークで日本円を稼ぎ、「力があればどこでも仕事ができる」可能性に気づきました。
トランジットの関係で年明けのソウルに数日滞在しました。

台北二日間
(2013年3月)
航空券が安かったので、自由な身分を最大限活かして一泊二日で弾丸台北巡りをしてきました。たっぱり旅は、良い。




仕事関連のプロフィールは、以下のLinkedInのプロフィールページからご覧になれます。


http://www.linkedin.com/in/tatsuyayabuuchi/ja

2 件のコメント:

  1. FBの翻訳グループではいつもお世話になっております。
    奈良NIGHTLIFE拝見しました。
    知っているお店がいっぱい!オクトーバフェストには、私も行きました。すごい盛り上がりでしたね。
    翻訳のほかにも、地元に根付いた活動を沢山なさっていてとても刺激を受けました。益々のご活躍をお祈りしております!

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  2. Sana様
    コメントありがとうございます。
    奈良ナイトライフ、ありがとうございます。二ヶ月ほど更新できておらずでして、こちらも再開しないといけないと思っています。
    実は私も、この活動を始めてから奈良の夜の店を知り出しました。終電の関係で、夜遅くまで奈良市内にいれないのが残念です。

    最近はいろいろと「仕事づくり」しています。ありがとうございます、今後ともよろしくお願いします。

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