2015年5月31日日曜日

12分の5(5月も終わり)

気が付けば、もう5月が終わり。


19時を過ぎても外は明るい。


あとひと月すると、1年の半分が過ぎる。


年度で見ると、12分の2ヶ月。


遅かったような、早かったような。



このひと月も、仕事プライベート含めていろいろとありました。

そして、やっぱり思った以上にひと月は長い。

今月失敗したこと、学んだこと、経験したことを踏み台に、来月はもっと高みを目指せるように精進していきます。




2015年5月30日土曜日

不確実性に投資をする怖さ

「このことにお金を使って自分は後悔しないのだろうか?」と思うことが時々あります。


特にそれは仕事に関する投資を行う時で、設備投資であったり、自分の知見を広げるためにどこかに訪れる投資であったり、効果がすぐに目に見えないことが多いです。


ちょっとご飯を食べる、であったり、映画を見に行く、であったり、本を買ったり、ということは、そもそも「投資」と思うこともないのですが、なかなかどうして、一件結果に結びつかないようなことに一定額のお金を使うとなると、その投資が将来的に返ってくるのかどうか、ということを必要以上に恐れてしまうようです。


ですが考えてみると、今の経験が5年後、10年後に役立つこともあるわけで、あまり目先のリターンばかりに頭をめぐらすのは、良いことではないのかもしれません。

経験に投資をすれば今後のどこかの人生で繋がる、くらいにどっしりと構えていこうと思います。




2015年5月29日金曜日

禊を落とす

今日、普段の自分ではありえないような大ポカをしてしまいました。


他人に迷惑をかけず、お金をドブに捨てただけだったのがせめてもの幸い。


このひと月はいろいろとありましたが、どうやら最近流れが悪いようなので、この出来事で一切合財洗い流して、週明けから新しい月、心機一転仕事にプライベートに向き合っていこうと思います。


明日あさってで何もないといいが…




2015年5月28日木曜日

究極的に人生は虚無

どれだけ毎日が充実していても、時々こう思うことはありますね。



人生って究極的に虚無だと。



だって、これだけ毎日楽しいのに、死んだら何も残らないわけです。


どれだけお金を稼いでいても、自分が変わるわけではないし(取れる選択肢が増える、というのは事実ですが)、何かを後に残せるわけではない。

どれだけおいしいご飯を食べても、明日になったらその味はたぶん忘れているでしょう。

19時になっても明るい西の空を見ると夏の訪れを感じますが、同時に、あとこの季節を50回くらい通り過ぎれば、自分の命も尽きてしまうことにも気づきます。

どれだけ仕事を頑張ったからといって、それだけで世界を直接的に変えることはできないだろうし、自分が残せることもほとんどないでしょう(これは職種によっても差はあると思いますが)。

あの日あの場所で見たきれいな景色も死んだら絶対に残らないし、

あの時あんなきっかけで心が揺さぶられたことも、忘れてしまうでしょう。



10代後半の頃からものすごく、死に対する恐怖を感じることになりました。

そしてそれは、先立たれてしまい後に残されてしまった苦しみから学んだことでもありました。

今でも何度も、死に対する恐怖を感じる時があります。

いや、恐怖というよりも、「どれだけ力を振り絞って生きても、最後には何も残らないのだ」という、虚脱感といった方が的を射ているかもしれません。


こんな虚無感を時々心に抱えて生きている人は、おそらく私だけではないでしょう。


虚無と向き合うことはとてもしんどいことです。なぜなら人間は、少しでも自分が生きた意味を人生に見出したいし、自分が世界を動かした証拠、世界を変えることができた証拠を少しでも多く欲しがっているからです。一人でも多くの人に、役に立ったと言われたいですし、少しでも多く、他人から認めて欲しい。そんなあなたが、「究極的に何も残らない」ことをそうやすやすと認められるでしょうか?それはつまりは、今まで積み上げてきたものの否定につながるわけですから、そりゃもちろんしんどいです。



でも裏を返すと、虚無と向き合うからこそ生きるエネルギーが生まれてくるのです。


だって、究極的に何も残らないんだから。究極的に誰も変えることはできないし、誰に気づいてもらうこともないだろうし、誰に覚えて続けてもらうこともないだろうから。


だからこそ、自分がやりたいことに精一杯エネルギーを使って、最後は何も残らなくとも「自分がやりたいことをやれてよかったな」と、本当に最期に思えれば、それでいいんじゃないか。決して誰に振り向いてもらわなくとも、自分が納得して命を全うできたのであれば、それでいいじゃないか。


そして、そんなことに精一杯力を注いでいる中で出逢った人を大切にする。だってすごいことですよ。血も繋がっていないどこぞの赤の他人に興味を持ってもらえるなんて。


人間は、いつかは死ぬ。それは怖い。


だけれども、「いつか死を迎える」ということと、「どうせ死ぬんだから人生なんてどうでもいいや」ということは、同義では決してない。





2015年5月27日水曜日

変化のはげしい時代で変わらないもの

こそが本質であって、ツボでもあると思っています。


例えば、人はどんな時に嬉しく感じるのか。どんなことをすると人は喜ぶのか。


これは常日頃体験することを取り出していけば分かることですし、個人個人でそんなに大差のあることでもありません。


そして、人がどんな時に喜ぶのか、嬉しく思うのか、ということも、時代が変わってもそう簡単には変わりません。


これが例えば、仕事の本質なのではないか。


結局、仕事とは相手に何かを提供して、その対価を頂くということなので。


小手先のテクニックに走るのではなく、深層にはなにがあるのかを考える。本質的な部分はなんなのか、ということを突き詰めて考えて実践すれば、時代が変わろうと、業界が変わろうと、結果は出せると思うのです。


そして、この浮ついた世の中でそういうことに目を向けて、頭を使って、実践している人は果たしてどれだけいるのか。



これからは、本質を掴み取れるかどうかが仕事でもプライベートでもキモになってくるのではないかと思っています。




翻訳業の本質とは

「相手が言いたいことを掴み取って、『こういうことではないですか?』と表現する」


ことだと思っています。


なので、翻訳業ができるのであれば、


例えばカウンセリング、


例えばコンサル業、



に横展開は可能だと思っています。


「こんな感じのことを思っているけど、自分でもよくわかっていない」


という人は世の中にたくさんいるので。



この記事の最初の文章には、どこにも「多言語間の」なんて言葉は入れていません。


それくらい、翻訳という作業は私たちが常日頃行っているものなのです。


ただ、そういう本質的な仕事の価値をクライアントにどうやって理解してもらうか、という問題は残ります。


どうも世間的には、翻訳=言語間の言い換え、というイメージが強く定着しているように思うのです。



2015年5月25日月曜日

人生は摩訶不思議。運命もまた不思議。

最近、仕事や仕込みの時に意識しているのは「分からないところは飛ばす。今は分からなくてもそのうち分かる時が来る」ということなのですが、


改めて考えると、この言葉は字面以上に深いですよ。




この24時間の間に起こったことの不思議さには正直、今までにないくらい驚いてしまいました。

人間は常日頃、様々な選択、決断を行っているわけですが、その当時は分からなかった(見出すことができなかった)意味が、こんなに早く出てくるなんて誰が思っていたでしょうか。


いや、冷静に考えるとこれは全くの偶然の重なりなのだと思います。


ですが、考えれば考えるほど、自分ではどうすることもできないような見えない大きな力が働いているようにしか、想えないような出来事でした。あの時の選択をする時に、他に幾つか候補はあったのですが、「やっぱりこっちのほうがいいか」と思って、当初思っていたものとは異なる道を選んだのです。


その選択から24時間も経っていません。まさかあんな出来事が起こるなんて…。自分でも予想だにしなかったことが起こってしまい、当初は考えなかった「意味」が、そこにできてしまったのです。


これはどうやら、選択した道が結局は正しくなるのだ、と暗喩でしかないのかもしれません。「過去の事実は変わらないが、その意味は時の経過と共に変わる」とはよく言ったもので、今までこの言葉は、「意味は一度しか変わらない」と勝手に思っていたのですが、どうやら意味は二回以上変わってしまうのかもしれません。

それも、180°変わった後にまた、180°変わるようなことがあるのかもしれない。

ですが、これはもしかすると当然のことかもしれません。なぜなら年を取るにつれて、私たちの人生はより複雑になって、伏線と伏線が一層複雑に絡み合ってしまうのですから。


この記事を書いている今は、当時とは打って変わってとても冷静になっています。


ただ、あの時の衝撃は忘れることはないでしょう。


この出来事すらメタファーなのだとすると、他の出来事も全て、今回のように予想だにしなかった繋がりを見せる時がくるのではないかと、もう信じるしかなさそうです。




2015年5月24日日曜日

自分の頭で考えて行動すること。そして今を生きること。

ネットを漁っていたら見つけました。








この手の話は何度も聞いていて、自分でも考えたつもりになっていましたけど、今改めて聞くと心に響きました。


最近、過去のことを悔んだり、未来のことを考えすぎてしんどくなっていました。


自分は調子のいい時と悪い時の差が激しくて、これはもう少しよくしたいとは思っているのですが、改めて、自分たちが生きている瞬間というのは「今」しかないんだよなー、と気づきました。


その中で複雑に因果応報が絡み合っているわけですけど、結局この瞬間がないと、未来にもつながらないわけで。


もっと向う見ずになって、その日その日に没頭するくらいがいいのかもしれない。


それにしても、「失敗したらその解決策を必死に考えて、そのあとは酒でも飲んで寝て下さい」の一説には「それでええん!?」って、思わずツッコんでしまいました(笑)





2015年5月23日土曜日

わがままな存在

人生、思い通りにならないくらいのほうがいい



と言っておきながら、



いざ思い通りにいかないと慌てふためいてしまう、




そんな自分をなんとかできないものかと思う。



不安がいっぱいの時さえ楽しいと思えるようになるのは、理想のひとつです。



こういうシチュエーションは、年を重ねても、生きる世界が違っても何度も経験するので、案外人間の本質的な部分なのかなと思います。






2015年5月22日金曜日

高分子学会

に入会しました。


学生時代には考えられなかった世界に入り込むことになりましたが、これからも自分の可能性を限定せずに、形を変えて生きていくためには、何か新しい世界に興味を持って、どっぷりつかってみることも必要だと思っていたためです。


まだまだ知らないこと、分からないこと、そして知りたいことが沢山あるので、仕事もしつつ新しい化学の世界を覗き込んで、学ばせてもらいます。


早速学会誌をネットで見てみましたが、仕事のプレッシャーから解放されて純粋に読み進めることができるのは、嬉しいです(笑)


高分子と一言で言っても、生体高分子や導電性高分子等、用途に合わせていろんなものがあるんですね。


この選択が、自分のこれからの人生にどんな伏線となって繋がっていくのが楽しみです。




2015年5月21日木曜日

空港ラウンジ利用記:ホーチミン空港国内線ターミナル

今回は、三月のベトナム行きの時に利用したホーチミン空港国内線での、ラウンジの利用記録です。


楽天プレミアムカードに申し込んで、同時に付いてくる「プライオリティパス」。これを利用して、いざ空港ラウンジを使ってみよう、ということで、このパスを使って利用した海外のラウンジは、ここが初めてとなりました。



ホーチミンまでの動きは、こちらの記事をご覧ください。

ホーチミンで一泊して、翌朝7時前のフライトでベトナム中部のダナンに飛びました。

空港近くのホテルに宿泊し(と言っても仮眠程度ですが)、午前5時半頃にはタンソンニャットターミナルの国内線ターミナルに向かい、搭乗手続きを完了。

手荷物検査の所では、10列ほど検査場があって、どこも長蛇の列で驚きました。午前6時前なのに…。


さて、国内線ターミナルで利用できるラウンジは一つでして、やや奥まったところにあります。搭乗口を幾つも過ぎてやや広い敷地に出ますが、右手にラウンジが二つ見えます。

パスで利用できるのは向かって左手。

入口のあたりにプライオリティパス利用可能、という目印があるので、これで分かると思います。




中はこんな感じ。6時からしか開かないため人はほとんどいませんでした。

で、朝食をここで済ませようと思ったのですが…。




朝一なのもあってか、殆ど用意されていない。


食器やメニューのあるテーブルには、食べ物の名前とプレートはあるのですが、肝心の口の中に入れるものはまだ厨房で用意されているようでして…。

結局、調達できたのは、これ↓


と、これ↓。



下の食べ物はドラゴンフルーツでしょうか(違っていたらすみません)。


もともと、出発まで時間もなく30分も滞在できませんでしたが、日中の乗り継ぎで利用するのであればもう少し満喫できるでしょう。

何よりも、東南アジアの喧騒を忘れて過ごせるのが個人的に大きいです。


ホーチミンからダナンまでの詳しい記録は、こちらの記事でご覧いただけます。


ラウンジめぐりは、はまると虜になってしまいそうですね。












2015年5月20日水曜日

今日は比較的余裕を持って過ごせた一日でした。

今週末からバタバタする予定は延期になり、今日は少しゆっくり過ごせました。

ですが、仕事でミスをしていたことに気づいたりで、胃は縮みました。

仕事の納期や他のスケジュールには余裕があったので、今までほどプレッシャーを感じることはありませんでしたが。

こういう日をもう少し多く過ごしたい。



話は変わりますが、今日で5月も2/3が終わりなんですね。今月はずっと引き籠っていたので時間の感覚がよく分からないのですが、思っている以上に早く時間が経っているように感じます。

そのうち夏至も過ぎて、今年も半分が終わりますね。


毎日を納得して生きようと、改めてふと思いました。



2015年5月19日火曜日

ちょっとの間の辛抱

決まりそうな予定が決まらなかったりで、いろいろと落ち着かない日が続くのですが、


こういう時こそ、確実に使える時間で確実にできることをするのがいいんでしょうね。


不確実なことに心を奪われてはいけない。






2015年5月18日月曜日

世界を変えるより、自分を変える方がよっぽど建設的

大阪都構想の住民投票結果、マスメディアやネットでいろいろと言われていますが、結果を見て一番思うのは「今回変化を期待して失望した人は、もう自分で先に動いたほうが良い」ということです。特に私のような20代や、少し上の30代の人でそう思った人は。


世の中が変わるのは、思っている以上に時間がかかりますし、エネルギーも必要です。


2009年の政権交代

2011年の震災

当時も何度も「これで日本も変わるか」と言われましたが、結局何もなかったかのような世界に戻ってしまいましたし、今回もそう。


「結局日本は変わらないのだ」という捨てゼリフ(?)も、お決まりになってきた感があります。


なので、もう「世界が変わるのに期待している」人たちは、そういう淡い期待は捨てて、少なくとも自分は変化する、という風に舵を切った方が、いいんじゃないかなと思います。


今回の住民投票結果も、一部では「若者の意見が反映されなかった」と言われていますが、各世代のパーセンテージを見てみると、6:4くらいで賛成と反対が分かれていたので、世代論で片づけるのは少し違うかな、とは思います。変化を好まない人も(若い世代に限っては)それなりの数いるわけなので、そういう人の意識を変えるのは、これでまた大変。


その一方で、変化を必要と思っているマジョリティの意見が一部の層の存在で打ち消されてしまったことも認めなくてはいけない事実であると思います。

その上で、今回落胆してしまった人は、もう自分で先に土俵を作って、そこで勝負したほうがよっぽど建設的なんじゃないかなと思います。仕事でも住む場所でも、なんでもいいとは思いますが。


一番怖いのは、残酷にも時は流れるということです。


私たちだって歳をとります。今回の選挙で「賛成」に投票した人だって歳を取るわけで、果たして今後同じような内容の住民投票を再度行ったとしたら、例えば10年後に再度大阪で、というのでもいいですが、その時の結果は「賛成多数」になるのか?と言われれば、それは違うような気がして、結局今回みたいになるのではないかな、と思ってしまいます。20代の自分だって、10年、20年と歳をとったら、守るべきものが増えてしまって考えが変わってしまうかもしれない。そして、大多数の「大人」はそういう風になってしまうでしょうから、自分は、こういう行動の結果は、数年後でも恐らく変わらないんじゃないかな、と思うのです。


2009年の政権交代から、今年で6年です。当時自分は選挙権がありませんでしたが(確か)、今は立派に選挙権を持っています。6年あったら、30代から40代になった人も一定数いるでしょうし、「何も変わない」世の中を作っているのは、まぎれもなくそんな私たちなのです。


2009年や2011年の出来事がきっかけで、世の中は変わったのか。変わったとして、自分はその変化に何らかのかかわりを持っていたのか。自分は変化することを嫌っていたのに、誰かが変えてくれるというような甘い考えを持っていなかったか。今一度振り返って考え直してみるのもいいでしょう。


私の場合、10代の頃から世の中に幻滅することが多くて、結局「周りは頼りにならん」と思うようになりました。一種のあきらめでもあります。


ただ同時に、最低限自分のことは自分で考えて生きていこう、とはその時から決めているので、そういう羅針盤を片手にいろいろと考えて、行動してきました。国家の仕組みや役割が変わりつつある中で、旧来の体制やシステムが機能不全を起こしてきている中で周りに期待するなんて、自分にとってはナンセンスなことだとずっと思っています(それでも、選挙には行っています。期待はしていませんけど。)


今回の住民投票で失望してしまった方は、戦うフィールド、エネルギーを使う方向を変えた方がいいかもしれません。


次回は選挙権を使おう、なんて言っても、次の選挙があるのはいつですか。そして、その選挙で何か変化が起きる確証はあるのか。


そのうち年を食って、私たちだってしょーもない「既得権益」の仲間入りをしてしまいますよ。


世の中が変わらないことに対する危機感よりも、時間だけは残酷に過ぎていくということに危機感を抱いたほうが良いのかもしれません。




2015年5月17日日曜日

仕事が一段落

抱えていた大きな仕事が一通り終了しました。


東北の通訳が終わった次の日からかかりっきりだったので、緊張感から解放されるのはいつぶりでしょうか…(笑)


明日からの5日間は、見直しなどに使います。


今週末からまた慌ただしくなりそうなので、今週の平日5日間はあまりプレッシャーを感じずに、のんびりと過ごしたいです。


夏至も近づいているので、また夜行列車にも乗りたいな。




2015年5月16日土曜日

反対意見と代替案

中学生の時だったか、「反対意見があるなら代替案を出しなさい」と言われました。

学級委員か何かをしていた時の話だったので、自分が言われたというよりは、クラスの他の子に言われていたのだと思いますが。



代替案というのは、なかなか考えるのが難しいもんです。

自分の場合、その代替案が現実的なのかどうか、ということをまず頭の中で考えて、無理そうだったら日の目を見せることなく却下してしまいます。それが例え、他の人にとっては名案に映ったとしても。


政治の世界にしても、そう。


沖縄の基地問題。

原発問題。

集団的自衛権の問題。



自分事として考えなければならないことは山ほどありますが、仮にこれらの問題の現状に対して反対するとして、自分はどんな代替案を考えるのか、そして、その案を、自分は受け入れられるのか。


そのあたりを考えると、自分なりの方向性を決めるのはいけるのですが、本当にその代替案がacceptableなものなのかどうか、というのは、いつまでも葛藤になって残ると思います。


基地を移転したとして、その時のリスクはどうなるのか、とか、基地(いわば軍関連)の仕事で生計を立てている方もいるのではないか。

仮に自分がその立場だったら、どう考えるのだろうか、とか(ただ、市井のいち人間としてそこまで考えると、身動きができなくなってしまうのですが)、いろいろと考えます。
(こういう、いろんなケースを考えて動くことこそが、政治なのかな、とは思いますが。)


結果的に、立場替われば意見も考え方も変わる、というものになってしまうとは思うのですが、


自分が当事者になった時に、どこまで受け止めて、葛藤を抱えて生きていけるのか、という問題は常にありますね。


これは政治だけじゃなくて、仕事の問題などでも同じなのでしょうが、


結局は「自分事」として考えないと、何も想像はできないし、動くこともできないのだと思います。




その上で、今自分が取った選択というのは、働き方にしてもそうですが、「最低限自分のことは自分で守る」というものです。


今はある程度、場所を変えても仕事はできますし、生きていけるようになりました。取引先も国内、国外共に幾つかあるので、どこかと共倒れになる可能性は、低い。


この先どのような道を選ぶかは分かりませんが、結局のところ、今の自分にできることといえば、これぐらいのことしかないのだと思います。


政治(民意を集めて世の中を動かす)というのは、ものすごくエネルギーと時間が必要ですし、果たして思い通りに進むのかは分からない。


なので、というと変ですが、政治に関心は持っていますが、そこに期待しすぎるのではなく、最低限自分(とその家族ぐらい)は支えられるように、自分に投資をして、生き抜いていける力を付けよう、というのが、現時点での自分のスタンスです。自分に投資をするほうが返ってくるものは多い、と思っているのも、このような方向に進んだ一因でもありますが。


なんかこう、今の世の中での典型的な個人化の例になっていると思いますが、もともとリターンの見込めないこと、興味のないことに時間とお金をつぎ込めないタイプの人間なので、仕方ないのかな、とは思っています。


ただ、個人化とはいうものの、できるだけ払う税金は少なくして、変なところに税金を持っていかれないように考えたり、ということは頭の片隅に入れています。最近特に税金に対しては敏感になりましたが、興味や関心をもつきっかけや分野は人それぞれだと思うので、そこで自分なりに頭を使って知恵を付けて生きていくことは必要だと思います。


仕事をしている人にとっては、例えば税金なんかが政治に興味を持つきっかけになってもいいのではないでしょうか。会社員の税金の仕組みはよく知りませんが、身の回りを見渡す限りでは、会社員で「税金を無駄に使うな!」と声を張っている人は多くはないような気がします。(イメージ的に、自営業の人と主婦の人のほうが、関心が高そう。)



なんだか、まとまりのない文章になってしまいました。


自分の場合、代替案を出すのが苦手なので(案を出すことはできますが、それが現実的なものなのか、その案を自分が受け入れられるのか、という部分でいつも葛藤する)、自分はできるだけ、周りからの影響を受けにくい環境を作り上げたいと思っています。





2015年5月15日金曜日

言うてる間に夏至です

あと35日くらいでしょうか。


個人的に、夏至以降は夏ではない(というより晩夏)と思っているので、今年の夏を楽しむのであればもう時間はそんなにないよな、と。

蛍狩りとか瑞々しい田んぼを見に行きたい。



晩夏は晩夏で、花火とか楽しいことができるのですが。


そしてもう数十回夏を迎えると死ぬのだと思うと、やっぱりのんびりとは生きてられないですね。






2015年5月14日木曜日

ブログのスタンス

ブログでは極力、「●●を上手に活用する、■つの方法」みたいなことは書かないようにしています。


時々ネット上をうろうろしていると、読者の自由度が制限されてしまうブログ記事を見つけてしまう時があるんですね。

ある種の旅行ブログなんかはその典型で、「●●に着いたらまずは◆◆をしましょう!」なんて、





なんでそこまで勝手に決められやんなあかんねんっ!(笑)




と、思わずつっこんでしまうような時があるんですね。



なのでこのブログではできるだけ、事実を淡々と述べるように努めています。(それでも、内容によっては相当感情が入ってしまう時がありますが。)


旅行の記事でも、「●●空港から□□までは、バスを利用。所要時間○○分。タクシーだと~~のようだ」といったように、自分が体験したこと、思ったことをできるだけ淡々と書いていきたいのです。


だって、ブログ記事を読んで最終的に判断するのは読者ですから。

淡々と書けば、他の客観的な情報と冷静に比較して、どちらが自分にとってよりよい選択肢なのか、ということも考えることができます。


空港ラウンジにしても鉄道の旅行記にしても行った国の話にしても、「そんなこともあるのね」くらいに思って頂ければそれで十分かな、と思っているのです。

だから、このブログを読んで更に興味が出たら、自分でもっと詳しく調べて体験して下されば、自分はそれでいいのです。自分の頭で疑問に思って、考えて、行動する人にこのブログは読んでもらいたいのです。


別に自分を目標にするんじゃなくて、このブログから取った情報を自分なりにアレンジして使ってもらえればいいです。ここで読んだことが、人生のどこかでフックがかかればいいかな、と。(そういえば、このブログのどこかにかいてあったぞ…のように。)


だって、自分の人生は自分以外のものではないから。

それを、他人の人生や他人の夢に投影して、すり替えてしまうから上手くいかなくなる。


別に、皆さんが目標にしている人は私ではない筈ですし、他の誰かでもない筈です。最終的に「自分はこんなことしたい」と思っておられる筈ですから。


なのでこれからも淡々と、自分が考えたこと、自分が体験したことをひたすら更新していくメディアとして、このブログは使っていこうと考えています。



2015年5月13日水曜日

理想の一日

5:00 起床

~7:00 仕事

~8:30 朝食、部屋の掃除など

~9:00 散歩

~12:00 仕事

~13:00 昼食

~15:00 仕事

~19:30 自由時間(会計管理、仕込み、買い物や映画など)

~21:00 夕食、風呂

~22:30 自由時間

22:30 就寝



この冬に朝型に変えて分かりましたが、

朝のうち(長くて午前中)に仕事を終えるほうが、使える時間が多いですし、能率が上がるんですね。

最近、暖かくなるにつれてまた起きれなくなってきていますが…。


このスケジュールと比べて現実は、70%くらい達成しているかと思います。朝6時にしかおきれないのと、どうしても仕事が長引く。


もう少し、仕事の時間を短くしたいなとは思います。



2015年5月12日火曜日

誇りとか矜持とか

新卒で会社員をしていた時は「プライドなんて捨てろ」(=今まで自分がやってきたことなんて大したことないから、そんなちゃっちい積み重ねなんて捨ててしまえ)と、直属の上司から言われましたが、


それでもやっぱり、自分の仕事や人生に対して、誇りや矜持は持った方がいいんでしょうね。

というか、年数が経ったならそれなりの誇りや矜持は自然と持てるようになってくると思うんですね。


(まあ、個人的に「プライド」と「誇り」はニュアンスが異なりますし、実際に違うものだと思っているのですが、それはまた別の機会に。)


自分の仕事に対する最近のモチベーションは、「これだけのお金と時間を頂いているのだから、良いものを提供したい」「自分はこれだけやっているのだから、こういうことができる」「世の中に出すものだから、恥ずかしい内容は提供できない」というものがあります。

これは誇りというよりは、ただのプレッシャー(程よい緊張感)ですが、こういうことを考えて常日頃生きていきたいものです。




2015年5月11日月曜日

楽天プレミアムカードとプライオリティパス

楽天プレミアムカードに申し込みをして、このカードと付随するプライオリティパスを使っているのですが、


飛行機の国内線利用時は基本的に楽天プレミアムカードを、


国際線利用時はプライオリティパスを、


使わないといけないようです。


国内線のターミナルにあるラウンジは「カードラウンジ」と言って、各種クレジットカードの上級会員(ゴールドとかプラチナとかプレミアムとか)が利用できるラウンジになっているようです。
(カードがないと1,000円/hくらいかかりますが、プレミアムカードを持っているとずっと無料)

前に一度、プライオリティパスを提示したら「これは利用できません」と言われてしまいました。


プライオリティパスも、使えるラウンジは限られているので、年会費や利用頻度を考えると、どこまでペイするものかは人によって異なりそうです。

私は今年すでに、カードラウンジを5回、プライオリティパス利用可能なラウンジを3回利用しましたが、飛行機にほとんど乗らない、使うのはもっぱらLCCのみ、という方には、あまり利用メリットはないかもしれません。(LCCターミナルは最近、従来のターミナルと別に作られる傾向があり、そこにラウンジはありません)


ただ、こういうサービスは「体験を買う」ことが一番の価値になっているので、年会費が多少高くても、利用してみたいと思う人は積極的に活用されてみてはいいのではないかと思います。



2015年5月9日土曜日

マンネリ化

ここ数日、仕事を捌くのに精いっぱいで毎日がマンネリ化していました。


もう少し変化を持たせないと、心身共によくないようです。


スケジュールの関係でいろいろ余裕がありませんが、もう少し別のことに取り組んでみるとかしてみないといけませんね。



2015年5月8日金曜日

最高の贅沢

東北に出ていた間に行われた、将棋の名人戦第二局を簡単に振り返っていたのですが、


1日目、開始直後8手目に、後手の行方さんが1時間以上長考されていたんですよね。


これ、最高の贅沢だと思うんですね。


8手目だと当然戦いは始まっていませんし、これからの駒組みをどうするかということを構想している段階なわけです。

そんな時分から、過去の指し手や展開を振り返りながら、目の前の一局をどう組み立てていくか、どう見せるかということに時間を使えるのは、なかなかないことだと思います。


長考というとどうしても、もっと具体的に局面を良くしよう、といったことを考えることが多いと思うので。そういう時は、形勢の優劣が決まってしまう、もしくは既に決まりつつある状態なので、純粋に考えることを楽しむ、という要素は薄くなってしまうと思うんですね。


この長考と指し手に、最高の贅沢とは何か、という問いに対するヒントをもらったような気がします。



自分は最近、将棋はもっぱら見るだけになってしまいましたが、タイトル戦でも、単純に成績を見るよりは、一局一局に詰まった思いや芸術性を味わおうとするようになりました。


もちろん、ひいきの棋士もいるのでそういう人は応援しているのですが、大舞台で対局者は「良い将棋を作ろう」と思っているのでしょうから、そういう作品に少しでも触れてみたいな、と思うのです。
(そういう意味では、かつての竜王戦で藤井さんが羽生さんに対して放った△3九銀の捨て駒は、本当に芸術性を感じました。)


タイトル戦でのプロ棋士の姿勢を見ていると、結果やお金は本当に後から付いてくるものであって、あの人たちが突き詰めているのは究極的に、盤上81升での芸術性なんだな、と気づきます。


そういうことを仕事としてできるのもまた、尊いんでしょうね。




2015年5月7日木曜日

ゴールデンウィーク明け

ゴールデンウィーク中とほとんど変わらなずに一日を過ごしましたが、

さすがに仕事関連のメールのやりとりが多かったので、平日であることを実感。

余分なトランザクションが発生しない時に、自分のしたいことをどっぷりすることもまた大事ですね。

そういう意味では、このゴールデンウィークは満足して過ごせたと思っています。


今月は後半にいろいろと予定が入っていて、それまでに終わらせないといけないことも多いので、思った以上に早く過ぎてしまいそうです…




2015年5月6日水曜日

食事の記憶

って、思った以上に残っていない。


昨日の夜は何を食べたか…、と思い出しても、すぐに頭に浮かぶわけではなくて、これで大丈夫かと思うこともしばしば。


それはまだ許せるとして、たまに、食後に皿を見て「この皿何が入っていたっけ?」と真剣に考えてしまうのは、食べ物に対しても失礼な気がする。


命に向き合えてないな。




2015年5月5日火曜日

今年のゴールデンウィーク

3日に外出したのを除いて、家に引きこもって仕事をしています。

そもそも、GWっていつから始まるのか分かってないんですけど、29日に東京から地元に帰って以来、基本的に引き籠っています。


ですが、自分は自分の時間軸で生きているし、わざわざ今の仕事の仕方を選んで、無理に人ごみの中に出ていくのはあまりメリットを享受していない気がするので、これでよいと思うようにしておきます。


自分は自分で予定を立てて、それを楽しみにしてこのゴールデンウィークを過ごしています。



2015年5月4日月曜日

大事なことは、自分で気づくこと

生きていくうえで一番大事なことは、自分で気づくことだと思う。


多くの人生の先輩や偉人から教わることは多く、名言も数多くあるけれど、すべて自分のこととして腑に落ちない限り、それらの言葉は無意味に等しい。


人間関係のこと、仕事のこと、家族のこと、お金のこと、時間のこと、いろんなこと。


自分も先輩からいろんなことを聞かされて教わったけれど、自分で経験するまで、体験するまで分からなかったことが多かった。

言葉では分かっているけど、経験ベースでは分かっていない(分かりようがない)といったところか。


けれど、自分で気づけたのなら、それが一番の財産になると思っている。それは一番痛みを伴っているから。痛みが伴うものは、忘れにくいから。忘れようがないから。





2015年5月3日日曜日

メガネのシャンプー

ここ最近、メガネの洗浄にはドラッグストアで売っている「メガネのシャンプー」を使っています。


新品価格
¥299から
(2015/5/3 13:56時点)

それまではずっと、水道水で洗って眼鏡ふきで拭いて、ということを繰り返していたのですが、水だけだとあまりきれいにならないのと、水けをとっても布の摩擦(?)で逆に汚くなってしまうのが、個人的にだめでした。

この「メガネのシャンプー」の使い方には、「シャンプーをかけて指で軽く洗い、水道水で流した後ティッシュなどで水けをきって下さい」とあるのですが、


布やティッシュを使うと逆にきたなくなってしまうので、今は水でゆすいだ後、軽くメガネを振って水けを切り、あとは自然乾燥させるようにしています。メガネをかけていても全く問題ありませんし、このほうがレンズがきれいなのでしっかりと見えるのです。


長い間、メガネのレンズの手入れには悩んでいたので、この商品は個人的に大当たりですね。




2015年5月2日土曜日

フライト搭乗記:スカイマーク105便 羽田→神戸

東北での仕事の後東京に立ち寄り、関西への帰路にはスカイマークを利用しました。




経営破綻の問題がありましたが、感謝セールということで「4月29日に全路線で3900円セール」が行われており、運よくその航空券を購入できたからでした。


フライトの出発は午前11時05分。

余裕をもって、羽田空港には午前9時過ぎに到着。

スカイマークの搭乗手続きは、京急で到着した場合、進行方向後方の改札を抜けていきます。(京急の駅に案内はあります)

二階に到着したら、一番右端に向かって移動。

到着します。





この日はゴールデンウィークもあってか、利用者は多かったです。

事前にサイトを確認したところ、今回利用の便は空席が7席ありましたが、当日空港で見たら「x」マークが出ていたので、完売だったのかもしれません。

手続き自体はすぐに済んだので、手荷物検査を終えてから「楽天プレミアムカード」を利用して、カードラウンジで1時間半ほど過ごしました。

ドリンクしか無料になりませんが、喧騒を忘れて過ごせるという点ではやはり利用価値があると思います。




(手荷物検査を終えてすぐの場所にあります。地図で確認されることをお勧めします)





この便は、神戸経由の長崎行のようで、搭乗者には神戸行の人と長崎行の人が混じっていました。

機材繰りの関係で、15分ほど遅れて出発。





着陸前の機内の様子。
通路の向かい側の席が一つ空いていましたが、他は見る限りでは満席。

今まで、神戸→仙台の、搭乗率の低い便しか利用したことがなかったのですが、羽田~神戸便はやはりドル箱路線の一つなのでしょうね。



前の座席との幅もゆとりがあって満足。
自分のような図体の大きい人間にとって、少しの値段の差であれば、ジェットスターやPeachではなくスカイマークを利用しようと思います。
(地元から関空に行くのがそこまで便利ではないことも理由のひとつですが。リムジンバスだと1時間ですが、朝晩の運行が限られているのと、結構高い。)

到着は15分遅れの、午後12時30分。

神戸空港はコンパクトで、三宮に出るのも20分しかかからないため、方向性さえ間違わなければ、スカイマークはLCCと競合できると思うのですが、やはり知名度の問題もあるのでしょうか。

神戸空港、スカイマークにはもっと頑張ってもらいたいです。

<フライト情報>
搭乗日:2015年4月29日
便名:スカイマーク105便(SKY105)
    羽田 11:05発
    神戸 12:15着(予定)
使用機材:B737-800
航空券費用:3900円(羽田→神戸、SKYセール)




2015年5月1日金曜日

自分の人生は、自分のものではない

ということを最近よく考えます。


かといって、他人のものでもないんですけれど。


執着、ってありますよね。


固執と言ってもいいかもしれません。


自分はこんな風になりたい。こんな人生を過ごしたい。


これは単なる「夢」であり「希望」ですけれど、これが高じてしまうと


「こうじゃないとダメ」「あの選択肢はダメ」


という「執着」に変わってしまいます。


仕事について考えてみると、肩書が変わること、転職をして活躍するフィールドが変わること。収入が変わること。

自分の思い通りにならないことのほうが多いかもしれませんが、執着をしてしまうと、自分のいる環境を否定してしまいがちです。


私もかつてはそうでしたが、独立してからは自分の思いもよらなかった仕事の相談を受けることが多くなりました。そしてそんな仕事に取り組む機会を多く頂いて思ったのは、「自分のことなんて自分でもよく知らない」ということ。

他人が見る自分の自分が見る(知っている)自分は全然違っていて、自分の強みや良さは、他人に発掘してもらう場合も多々あるんだと。


そして、そんな世界に飛び込んでいろいろ経験できたのは、自分の理想や夢、フィールドに固執し過ぎなかったからだともいえます。


特に組織に所属をして仕事をしていると、肩書や収入、フィールドがよく変わってしまうこともあるかと思いますが、そんな時に表題のようなことを考えれば、たとえ地位が上がっても奢ることはありませんし、左遷を食らっても落ち込むことはありません。だって、自分が決めた役職でも収入でもフィールドでもない(=誰かに引っ張られた、という意味)わけですから、別に何か自分の中から失うこともありませんし、逆に何かを手に入れるわけでもない。


自分の人生に対する執着を捨てると、驚くほどに面白い人生になりますよ。