2013年8月27日火曜日

本当に必要なものは、必要な時に向こうからやって来る。

「本当に必要なものは、必要な時に向こうからやって来る」

どこで目にしたかすら覚えていないこの言葉、今思うと確かにそうだな、と思う。

今までを振り返ってみても、そんなことが多かったと思う。

人生のターニングポイントになった時は何度かあるが(「ターニングポイント」なんて、少し大げさではあるけど)、そんな時はえてして、自分から求めて何かを掴みにいったというよりは、向こうが突然やってきて、目の前に現れた、ということが多かった。


友達や知人から声をかけてもらったことは計り知れず、それがどんどん形になっていったこともある。

最初にインドに行こう、って言われたのも友達とSkypeしている時だったし、去年仕事を辞めて、いろいろ大変だった時にもポーランドからメールが来て、渡航することになった。

二週間前くらいにも、二年前のインドの活動のことを知ってインドからメールが届いたし、その関連で、今週には大学生とも会うことになった。
(その大学生からも、Facebookで突然メッセージが届いて、あまりのタイミングの良さにびっくりしたほどだ。)


思い返せば、仕事でもプライベートでも、半分くらいは相手から急に手が伸びて来た。

そして、そういう時は僕も、「どうしようか…」とうんうん考えているときが多かった気がする。


そんな風に出来ているんだろうか。


こういうことが続いてから、僕はこんな風に考えるようになった。


「誰も見ていなくても天は見ている。本当に困っている時には、心配しなくても相手から現れてくれるから、その時のためにしっかりと準備しておけ」


少しずつ不安を溶かして、明日も一歩一歩進んでいこう。


支えて頂いている皆さん、本当にありがとうございます。

2013年8月25日日曜日

フリーランスの僕が仕事獲得のために活用しているサービス一覧

年明けに独立してから、もうすぐ8ヶ月が経とうとしている。

今回は、そんな僕がどのように仕事を獲得しているのか、ということをまとめてみる。

最近、同じ領域(翻訳)で活動している人とお会いすることも多く、そのような方々(特に、僕のように経験が浅い人)にとっては参考にして頂きたい内容である。

自分の専門領域がプログラミング等のIT系ではないため、同領域の皆様には全てが全て参考にはならないかもしれないが、サイトの活用法等参考にして頂ける部分も多いかと思う。

既にフリーランスとして活動されている人、これからフリーランスに転身しようとしている人にとって、仕事獲得の一助となれば幸いだ。



さて、それでは早速詳しく見ていこうと思うが、僕が使用しているサービスは、主に以下の通りに分けられる。
①求人情報メール
②クラウドソーシングサイト
③SNS
④ディレクトリサイト・ポータルサイト

これらの特徴や感想、どのように使っているかを以下にまとめてみた。適宜、過去記事へのリンクも貼っているので、そちらも参考にして頂きたい。

①求人情報メール
これによって、自分の対応分野(僕の場合は「翻訳」等)に合致する日本全国の求人情報を、毎日決まった時間に拾ってメールに届く。

使用しているのはIndeedというサイトで、ここに自分のメールアドレス(情報がここに届く)と、求人情報のキーワードを登録する。該当する案件がある場合は、毎日決まった時間に届くので、単発の案件なども検索可能だ。
(仕事版のGunosyだと考えて頂ければ分かりやすいかもしれない)

これには、複数のキーワードを同時に登録できるので、僕の場合は「翻訳」「英語 在宅」「通訳 関西」「通訳」の四つのキーワードを登録している。

このサイトは、フリーランス向けというよりは広く求職・転職者向けだともいえる。僕の場合は在宅で仕事をすることが条件の一つなので、こういう使い方をしているが、用途は幅広いと思われる。


②クラウドソーシングサイト
これには、最近普及してきているクラウドワークスランサーズが含まれる。

どちらのサイトも今年の2月頃に登録をし、これまでに合わせて15件程度の仕事を行って来た。
場合によっては継続発注に至るものもあって、使い方次第では十分に仕事獲得の余地があると思う。

メリットとしては
・経験が浅くても仕事獲得の余地がある
・ある程度経験を増やす際には有効に活用できる
というのが挙げられるが、逆にデメリットも多い。

僕が実際に活用してみて思うのは
・(翻訳に限定した話だが)英語の案件が殆ど。仏語、中国語、独語など、他の言語の案件は極端に少ない(これは他のクラウドソーシングサイトやディレクトリ一般でも言えると思う)
・料金が安い(①発注側が相場を無視している場合②受注側も「経験が少ないので安く」といって引き受ける③一定の手数料が運営側に否応なく取られる)
ということだろうか。
あとは、翻訳の場合、案件数がデザインやIT系に比べて極端に少ないので、競争が激しくなることもあると思う。
(それゆえ、さらに料金が安くなるという悪循環が起こる)

ただ、先にも書いたように未経験の場合、実績を積みたい場合は活用の余地有りだ。
(僕もそういうつもりで使っている)

これら二つのクラウドソーシングサイトについては、以下の過去記事も参考にして頂きたい。
クラウドワークは「仕事の仕方」の選択肢としてアリだと思う




Lancers.jp



そしてもう一つ、こちらのサイトも使ってみてまずまずの感触だった。
Wishscope

これは簡単にいうと「お願い解決」のサイトで、中古品の売買、スタッフの募集等「これが欲しい」「こんなことを提供します」という相互のニーズを満たすサービス。

僕も「翻訳します」ということで、何度か仕事に至った。

この場合、こちら側から条件を決められる(特に料金)ので、不当な競争が殆どなくて済む。
また、アイデア次第でいろんなことができるので、翻訳にしても単に「翻訳をします」と書くのではなくて、自分の専門分野に限定して見せ方を工夫する等、いろいろと余地がある。

個人的な所感としては、英語翻訳の人は(受注側が)多いので、英語以外の外国語翻訳をする人にとってはニッチで良い場所かもしれない。


③SNS
これは殆ど、LinkedInのことだと言っていい。

「仕事の課題解決SNS(サービス)」であるLinkedInは、自分の職歴や専門分野を記載することができ、仕事への応募等も行える。

使い方は様々だが、フリーランスの方であれば、自分の職歴、実績等を棚卸ししてプロフィールに反映し、仕事を探したりするのが良い活用法だと思う。

僕の場合は、英語でプロフィールを書くことによってインドから仕事を頂いたので、活用法は様々にあると思う。

参考:LinkeInで仕事獲得

LinkedInについて詳しく知りたい方は、以下の本の中から何冊か読んで頂きたい。
(個人的には一番上の「LinkedInをビジネスに活用する本」がおススメ。著者がInの第一人者であるので、内容が具体的で分かりやすい)

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そしてもう一つ、最近案外使えると思ったのがmixi

僕より数年後の世代では、mixiを使ったことすらない人がいるようだが、コミュニティを活用すると、仕事が落ちていることがある。


④ディレクトリ・ポータルサイト
翻訳領域では、しっかりとしたポータルサイトがあるのが強みであり特徴だ。

僕が利用しているのは以下の三サイト。
どれも、自分の情報(実績等)を掲載できるのと、求人情報も出回っているので、無料で登録できるのであれば活用しない手はない。

順に
・日本(語)のサイト
・英語ベースだが日本語表記有り。やりとりは英語
・表記も全て英語
のサイトとなっている。

特に後者二つは、様々な言語の案件が大小溢れているので、活用の余地大だと思う。

ディレクトリを使う際に注意が必要なのは、特に最初のディレクトリの場合は、フリーメールアドレスでの登録が禁止されていること。「なりすましを防ぐ」とのことで、今の世の中でどの程度の問題なのかは分からないが、独自ドメインを取得しておいた方が、いざと言う時に安心だと思う。

プロバイダー契約をしている方は、そこで取得できるアドレスを使えば良いし、そうでない方(僕のようにPocketWiFiを使っていて、普段はGmailを使う人等)はお名前.comラクサバなどのサービスを活用すると、月額100円程度からドメインを取得することができる

独自ドメインを持っていれば、Wordpressのインストール等も同時にできるようになるので、持っていて損は無いというのが、僕の考えだ。






参考:有料ドメインを獲得しました。


思えば、翻訳家というのは面白い仕事で、日本語以外にも言語(多くは英語)を使えるので、どんどん海外のサイトや海外とのクライアントを増やすことが出きるんじゃないだろうか。

先程の、僕のインドの案件もそうだが、外国語を使うことで可能性は何百倍にもふくれあがるのだ。

ディレクトリサイトの活用は、僕もあまりできていないが、今後これらのサイトを経由して仕事をするようになった場合、また改めてこの場でも書いてみようと思う。



どうだろう。フリーランス(特に翻訳領域)の人向けに、自分の経験と考察を元に書いてみた。

世の中にどれだけの翻訳者(のたまご)がいるのか僕は知らないが、これからの世の中、会社に勤める以外にも様々な生き方・働き方が発露して来るだろうし、そういう状況に(望もうと望まないと)なった際にも、案外活用できるサービス・リソースがあることに気づかされる。

もちろん、これらのサービスを使えばすぐに仕事が取れる、ということではないし、日々の研鑽が大事なのは言うまでもない。

しかし、情報感度を高めることで、自分が必要としているサービスに出会えることも確かだ。

翻訳領域以外のフリーランスの皆様にも、是非ここの情報を活用・応用して頂ければ嬉しい。



2013年8月23日金曜日

インド初の「日本文化祭」に参加しませんか?

今回は募集の投稿です。

今年の11月8日〜10日に、ニューデリー(インド)で初の「日本文化祭」というオタク(熱狂的日本ファン)のイベントが行われるのですが、そこに一緒に行きませんか?

二年前に友人と一緒に「日本を伝えるフリーペーパーを作ろう!」ということで勝手に作って勝手に渡航して勝手に撒いて、その時に作ったFacebookページを知ってもらって先方から連絡が来たので、この機会にいっちょやってみたいと。

資金のこととかいろいろ課題はあるのですが、フリペのデータはあるので、それを最悪ちょこっといじるだけでOKですし、費用と言っても渡航費、参加費、印刷費くらいです。(チケット調べてたら往復5万で行けるみたいなんです)

あとは、フリペ以外にも何か出し物というか、何かしたい(コスプレとか料理の実演とか)と思っています。僕アイデア出し下手なので、インドで何かしたいと思っている人は、この機会にしてみませんか?

今年が初の開催となるイベントで、財政的支援が向こうからないのがネックなのですが、今後も毎年開催されるので、長期的に日本とインドで関わって行く体制を模索しています。

インドに一緒に行きたい人も、後方支援して下さる方も募集中です


興味がある人はコメントして頂ければ幸いです。


よろしくお願いします。

2013年8月17日土曜日

「変化し続ける自分を、納得しながら楽しむ」

第一線で活躍されているプロ棋士の、羽生善治さんの本を読んだ。

タイトルは「直感力」。

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この本には、全体的に深いことが分かりやすい言葉で書かれているのだけれど、特に印象に残ったフレーズがあるので、ここに書いておこうと思う。

「ただひとつ思っているのは、少なくともいま自分が思い描いているものとは違う姿にはなっていたいということ。例えば、10年経ったらこういう感じになっているのだろうという青写真があるとしたら、その通りにはなりたくないという気持がある。

自分が想定した、その通りでは面白くない。自分自身、思う通りにならないのが理想だ。計画通りだとか、自分の構想通りだとか、ビジョン通りだとかということよりも、それを超えた意外性だとか偶然性、アクシデント、そういうあれこれ混濁したものを併せ呑みながら歩んで行くのが、一番いいかたちなのではないかと思っている。変わっていく、変化し続ける自分を、納得しながら楽しむ。」


これは、本の巻末に書かれていた。


このことをメタ認知して、なおかつ言語化できるって並大抵のことではないと思う。


少し前に更新した生きて行くために必要なのは、夢以上に哲学ではありませんか?で僕が書きたかったことは、案外このことかもしれないと思った。

数日前にある人と話していた時に、「自分が向かっている目的地や夢が間違っていることに気づいたら、どうするのか」みたいなことを議論していたのですが、それすらもこの羽生さんの言葉は解決してくれます。


実は僕も、そんな周囲から与えられた度重なる偶然によって、自分の今までの人生が作られてきました。

その中で思ったことは、(良いことも悪いことも含めて)人生いつ何が起こるか分からないよなー、ということと、分からないからこそ生きて行ける、ということ。

将棋は、自分が一手指すと相手に手番が渡って、それを繰り返して進んで行く。

これと同じで、人生って、自分のものではあるけど自分1人では作れないものだと思う。
自分が何かをする。その中で周りも動いて(必ずしも一手ずつとは限らないけど)、絶えず環境は変わる。

その中で、「あれ、これとこれって一緒にできないかな?」とか「ここに行けるんだったら、ついでにここにも行ける!」みたいな機会が、絶対に出てくる。僕は結構欲張りな人間やから、そのあたり案外拘ることが多々ある。

だから、振り返ってみると「あ、自分がしたいと思っていたことがいつのまにかできてた!」ということも、これまで結構あった。


三年前の自分が、今の自分を想像できていたかといえば、絶対にNo。


いつの時代でも、いつ生きていても、自分の隣に不安はつきもの。でも、それ以上に、明日をワクワクして迎えたい。帰納的に考えると、それを続けることで毎日がワクワクしていることになるんだから。

世の中で唯一変わらないことは、世の中が変わり続けること。


明日は何が起こるのか。それは自分にも分からないけど、そんなことを毎日考えながら、今を一生懸命生きて行きたい。


久しぶりに青臭いブログになりました。






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2013年8月10日土曜日

生命(いのち)の振れ幅

気がついたら、8月も三分の一が過ぎようとしている。

多くの人は、今日からお盆休みになったのだろうか。


去年の今頃、ちょうどお盆休みで上海周辺をぶらぶらしに行って、それから仕事行けなくなって辞めて、いろいろあって一年経ったなー、と思っていました。


清水義範さんの「なんとか国語必勝法」じゃないけど、本当に「いろいろあった。」(元ネタ分かる人、どれくらいいるんやろう?)



この一年は、たぶん一番「生命の振れ幅」が大きかったと思います。


仕事を辞めた理由は過去の記事にも書いたのですが、去年お盆空けに仕事行けなくなった(いわゆる「社会復帰できない」ってやつですね)時は、もう自分でもどうしたらいいのかわからないくらい絶望の縁に立っていました。

それまでにそんな経験をしたことがなかったのもあって、8月末から一ヶ月半くらいは燃え尽きたように何もしなかった(できなかった)のですが、それから偶然と幸運も重なって、一年後、こうして命あるまま生き続けることができました。


去年の今の時期の自分は、今ここにいる自分を想像できませんでした。

絶望に襲われていて、でもそこから息吹を取り戻すことができました。


振り返ってみると、偶然とは思えないほどの偶然の積み重なりでいろんなことが繋がってきました。


この一年で、生きていると何が起こるか分からないことを身に沁みて知りました。

それは良いことも悪いことも含めて。


だから、この先何が起こるか分からないし、自分の人生の希望があるのかと聞かれれば、それもあるけど、たぶん不安の方が多い気がする。

でも、たぶん不安とワクワクは表裏一体になっているから、自分でも分からない「何か」に誘われながら、自分の声を確かめつつ、自分に正直に生きていこうと思います。

これからも。


自分は幸せなのかどうなのか、とか、そういうのは人と比べる時点でニセモノ。


少しでも、「生きてて良かった」という瞬間を積み重ねて行きたい。

そこで、周りの人を1人でも多く笑顔にして、前に進んで行きたい。


これからも、振れ幅大きく生きて行くのやろうけど、そんな自分がいいのかな、と思うようになってきました。

2013年8月5日月曜日

生きていくために必要なのは、「夢」以上に「哲学」ではありませんか?

「あなたの夢はなんですか」


この質問、僕は大の苦手だ。特にここ二、三年で、自分の好奇心・興味の範囲が大きく広がったことと、かねてからの飽き症が組み合わさって、特段「夢を持ちづらくなった」。

かくゆう僕も、小さい頃は人並みの夢は持っていたと思う。もう10年も前の話なのではっきりと覚えていないことも多いけど、「タクシーの運転手になりたい」と小学校の卒業文集に書いた記憶があるし、それから鉄道好きに転身してからは「電車の運転手になりたい」と、中学校の卒業文集に書いたような、書かなかったような。

他にこれといった夢も思い出せないのだが、そんな人並みの夢は見ていたと思うし、それらを頭のどこかの片隅に置いてずっと生きてきたのは確かだった。


その折先日、「藪内さんの夢は何なんですか」と聞かれたのだが、これに対してすごく抵抗があり、いろいろともやもや考えていた。


その中で、自分の中で至った結論は、タイトルにもあるように
「今を生きていくには夢以上に哲学が必要」
というもので、今回はこれについて、思ったことをまとめておこうと思う。


ここで一般的な話をすると、夢を持つことは大事だと思うし、夢があるから頑張れる、という文言(金言?)は、世の中でも結構広くいわれている。

特に最近は、いろんな自己啓発書でも「夢をかなえるために、夢に期日をつけてそこから逆算し、今から夢の実現に向けて動いていこう」ということが頻繁にいわれている。

僕も、一年くらい前だったか、とあるフィナンシャルプランナーに世話になって、自分の夢の実現に向けてサポートしてもらっていた。
ただ、その時から、「夢の実現のための逆算思考」みたいなものには違和感を持っていて、結局根本的な考え方が合わないのもあってか、こちらから自然に離れていってしまった。

最近もやはり、「生きていくためには夢って必要です」ってことはいわれるのだけど、どうしてもやはり、僕の心はそれを受け入れたくないようだ。


そこで、「なぜ自分は、夢を持たない(持てない)のか」ということを、根を深く掘って考えてみた。


すると、ずっと前から自分が抱えている「古傷(トラウマ)」に、原因があるのではないかと思ったので、それをまず書いておくことにする。
恐らく、この体験が自分の哲学の全ての原点なのだと思う。


この記事の最初の部分に、自分が鉄道好きだと書いた。
僕がその世界の虜になったのは、小学校高学年の時に本で読んだ「夜行列車(ブルートレイン)」がかっこ良かったからで、いろんな写真や列車名を見ては、夜にある町を出発して、ベッドで横になりながら一夜を過ごし、翌朝に別の町に着く、という「旅情」にすごく興味を持っていた。

当時、小学生か中学生だった僕は、「大学に進んだらブルートレインに乗って日本各地いろんなところを旅しよう」という、ほかでもない「夢」を持っていたのだけど、実はこの夢が殆ど実現困難になってしまったのだった。

ここから先数行は、やや専門的な話になってしまうので興味がない人は読飛ばしてもらって全然構わないのだが、要するに、自分が大学に進む前に、殆どのブルートレインが廃止になってしまったのだ。

特に、2005年の3月、僕が高校に進学する15日くらい前に、元祖ブルートレインといわれた「あさかぜ」と「さくら」が廃止になり、その三年後、大学受験まっただ中の2008年3月には、「なは」「あかつき」「日本海(一往復)」「銀河」が廃止、同時に、その一年後に「はやぶさ」「富士」も廃止になる、という衝撃的なスクープが発表された。

2005年は仕方ないにせよ、2008年の廃止は自分にとっては本当に衝撃的で、確かこのニュースが新聞の一面に載った朝、僕は泣き潰れて何もできなくなってしまった。

列車の廃止ごときで喪失感に襲われるなんて、と思われる方もおられると思うが、当時の僕にとって、この二つの改正はトラウマ以外の何事でもなくて、その時から「夢は叶わないもの」と思うようになったのだと思う。

(たぶん、自分の生まれが一年早いか遅ければ、受験は気にする必要がなかったし、親に金を借りれば夢は叶えられたのだと思うが、受験のさなかということもあり、そこまでのことをする余裕はなかったと思う)


幸いにも、その出来事の後にも命を失うことなく生きてきた僕だが、この二つの出来事が「グッドタイミング」で起こったことは、「夢は叶わない」ことを知るには十分に大きな出来事だった。

実はそれまで、「夢が実現しない」とは
1、自分自身の物理的問題による(例えば、プロ野球選手を目指していてじん帯損傷や肩の骨折等で、実現しなくなる)
2、自分の経済的問題(高価な車が欲しいが、お金がない)
の二つだけだと思っていたのだが、この経験で
3、夢を実現するために必要な対象がなくなってしまうこと
もあることに気づいて、3が起こってしまうと、夢って実現できない、ということを高校生の時点で僕は悟ってしまったのだ。

例えば、「〇〇という島に行きたい」という夢があって、その島が地殻変動か何かでなくなってしまう(こんなこと、滅多に起こるものではないが)とか、家族や恋人、友人等が、命を落としてしまうとか。

それらが起こることを知り、それはいくらお金があっても賄えないし、なおかつ取り戻すことができない、ということを知ってから、自分の中で「諦観」ができてしまったのだと思う。

だから、ここ数年は殆ど考えなかったけれど、「夢は何ですか」と聞かれれば、このトラウマが心のどこかに眠っていて、「夢なんて持たない方が良い」という答えが、自分の中にやっぱりあるんだと思う(大学の時はよく思っていた)。


そういうわけで、僕は人から「夢はなんですか」と聞かれると、どうしても答えることができないのだと思う。

ただ、一つ付け加えておくと、自ら「私、こんな夢があるんです」と言うのは全然抵抗がない。
夢があるなら、それはどんどん口に出すべきだと思うし、その夢を聞いて、僕が何か力になることがあれば、そこは人を紹介したりして、サポートしていきたいと考えている。

でも、それを相手に聞くのは自分も抵抗があるし、自分が聞かれるのも好きではない。

「人の夢を聞いて何になるの」というのはあるし、逆に言うと、夢でも悩みでも、持っているけどどうすれば良いか分からない人は、こちらから聞かなくても、自分から「こういう夢(悩み)を持っているんですけど、どうすればいいでしょう?」って、聞いてくると思うのだ。

僕の場合、トラウマが眠っているから「人の土俵に土足で入り込まないでよ」という、とても堅いガードがあるのも事実だと思うが…。



と、ここまでが「自分が夢を持てない理由」なのだが、ここから後半、「僕はその代わりに、自分なりの哲学を持って生きている」ということについて、まとめたい。

前半の「僕が夢を持てない理由」はすこし特例かもしれないが、案外世の中には「夢を持てって言われても、いまいち分からない」という悩み(?)を持っている人って、案外いるのではないかと思う。
(雑誌や新聞でも読んだことが何度かある)

で、残念ながら、僕は多くの人がそういう風になるのかまでは分からないのだけれど、自分の場合で言うと、今「夢」を持ちにくいのは、
・世の中が今までにまして、流動的になっている
・夢を持たないことが「悪」だという認識が植え付けられている
ことが原因ではないかと思っている。

実は案外「夢」って曖昧な言葉で、どこからどこまでを夢とするのかは、各人によって違いがあると思う。

でも、今の世の中で「定年まで一つの企業で勤めるのが夢」であっても、それを実現することはとても難しいだろうし、「将来はこんな職業に就きたい」と思っても、その職業がなくなっている可能性だって、ゼロではないと思う。(ここで大事なのは「そんな仕事に就いて、食っていけると思っているのか!」という反論はそれほど意味がなくて、「仕事に就く」時点で夢はかなえられる。それ以上に、僕の例ではないが、「夢を叶えるために必要な対象そのものがなくなる」ことが、注目しなければならない点である)

もしくは、人それぞれ夢の大きさや具体性は違うと思うが、学校などでお互いの夢を比べたら、どうしても「夢は大きい方がいい」というような認識を、生徒は自ずと持ってしまうのではないか。

その中で、「夢は大きくないとだめ」「夢を持っていないといけない」ような、どこか「強迫観念」が植え付けられてしまっていないだろうか。

だから、「あなたの夢はなんですか」と聞かれても、変に人と比べてしまうのではないか。(この場合、「私の夢は…」と言われても、やっぱり自分のことを引け目に感じてしまうこともあるのかな。)


そこで僕は思うのだけど、夢ってあってもなくてもそれほど大差なくて、実は「今を生きる」という意味では、各人がどんな「哲学」を持っているかが、大事になってくるんじゃないか。

「哲学」っていうとおおそれた感じがするけど、要するに、「今をどう生きるか」を決めるのが、哲学なのだと思う。

そして、生きていくこととは、結局そんな「今」の積み重ねだ。自分の哲学を持って今を積み重ねいくことが、僕は大事なんだと思う。

僕も今まで、いろんなことを経験してきた。
大学三年の秋から、小さな会社のスタートアップに関わらせてもらったり、大学三年から四年に上がる春休みにインドに行ったり、等。

そして、そういう時になぜ自分がその道を選んだのかといえば、「今ワクワクするから」ということを直感的に感じ取ったことと、「自分が選んだ道に納得できるのか」という問を、徹底的に自分に向けたからに他ならない。

夢を持たない(他人から見ると、持っているのかもしれないが)自分にとって、あらゆる選択を取る時の基準は、「ワクワクするか」と「覚悟があるか」の二つで、それは両方とも、不確実な将来に対するものではなく、今自分がどう思うのか、ということに対して問うたものだ。

特に、大学三年から四年になる頃は、周りは就職活動をしていたが、自分はその道はどうしても取れずに、自分の直感を信じて道を選んだ。今振り返ると、「安定したサラリーマン生活」を捨てる道を選んだのだから、大した度胸を持っていたと我ながら感心するが、結局、自分の哲学と照らし合わせて生きていくことが、大事なんじゃないかと思う。(誰にだってゆずれない部分はあるのだし、それはその人の他ならない「哲学」だと、僕は思う)


哲学には、その人の生き様が現れる。
これは、将棋界の逸話なのだが、故米長邦雄名人は「自分にとってどうても良く、相手の首がかかった一番こそ全力で指しなさい」ということを言っていたのだという(米永さんが師匠から教わったのだったか、僕ははっきりとは覚えていない…)。

これは、相手にとっては、勝てば残留、負ければ降級の一番で、自分は勝ち負けが関係ない消化試合の一番こそ、相手のために全力で将棋を指しなさい、というものらしい。

自分にとってはどうでもいい一番だから、ついつい気を抜いてしまいがちだが、それは相手に対して失礼だ。だから、相手に全力でぶつかるように、というのが、この考え方の根っこにあるようだ。


こういう哲学(生き様、考え方)はいろんな世界で数えきれない程溢れているが、これらの根っこは不変で、いろんなところで応用・適用が可能だ。
だから、僕は「夢」以上に、自分なりの「哲学」をもって生きていきたい。

先の将棋の例なんて、言ってみれば自分の「夢」に関係ない。そして、目を向けるのは将来ではなく、たった今行われる、目先の一番、それのみだ。

けれど、その哲学は今後も経験する同じ状況でも使えるし、その繰り返しなんだと思う。


もちろん、僕には「夢」はないけど、漠然とした将来のイメージはある。(これは「夢」何だろうか?もしかすると、世間で使われている「夢」という言葉以上に「夢」の本義に近いかもしれないが、このあたりは言葉の定義・認識について再考するべきだと思う。)

けれどそれ以上に、今までの自分を形成してきたのは、自分の生き方、自分を支えてくれた家族、沢山の友人や知人に対しての自分の哲学であり、そこから自分の人生が切り開かれてきたことは否定できないので、僕はこれからも、自分なりの哲学を突き詰めて生きていくんだと思う。


夢はなくても生きていける。ただし、哲学を持っていれば。


あなたの哲学は、何ですか。

2013年8月1日木曜日

なぜ僕は、20代で翻訳フリーランスの世界に足を踏み入れたのか?

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8月になった。

今年の始めから翻訳の世界に転身して、フリーランスで仕事をするようになったので、今月が8ヶ月目だ。


今回は、なぜ僕がこの世界に入って仕事をしていこうかについてまとめてみる。これから転職を考えている人や、仕事に就こうと思っている人の参考になれば嬉しい。


①自分のペース・裁量で仕事がしたかった。
フリーランスになった一番の理由は、これに尽きると思っている。
その前はサラリーマンをしていたが、平日は毎日のようにサービス残業をしていて、仕事をする割には給料は増えず、職種の関係で深夜や土日にも仕事をしないといけない場合があった(と社内で聞かされた)。

もともと、営業を勉強して力をつけるために職場を選んだのだが、この環境で軽い鬱になってしまい、「生活していくための仕事でもあるのに、これで身体を壊して命に響いたら本末転倒」と思い、まずなによりも「自分のペースで仕事ができる→在宅で仕事ができる」という基準が、自分の中にできていた。

(前職を辞めた理由については、過去の記事に書いてあるのでそちらを参照して欲しい)
なぜ僕は、新卒で始めた仕事をわずか5ヶ月でやめたのか?(2)


②「手に職」を考えた時に、翻訳はスタートラインが有利
そんなわけで、在宅でできる仕事といえば、いわゆる「手に職」の仕事から選ぶことに、必然的になってくる。

今はIT全盛で、友人の中にもプログラマーやITエンジニア等の勉強をしたり、プロとして活躍している人も多かった。ただ、もともとITは殆ど分からない(SNSくらいなら使えるが、プログラミング系は全くダメ)ということがあり、今23歳でそれらをゼロから始めるのは、リスクが高いのではないか、と考えていた。
(時間がかかるということが一つと、競争が激しいのでそこで生き残れる見込みがなかったことが一つ)


なので目をつけたのが、小学5年の時から始めていた英語関連。
もともと言葉が好きで、大学でも言語学(広く言語コミュニケーション)を専攻していた。なので、ゼロから英語を勉強する必要はなく(翻訳の勉強はもちろん必要だが)、「今までの貯金」と「これからかかるコスト(勉強時間とリターン)」を考えると、こちらの道で何年かやってみるのが今は良いのではないか、と考えた。


③サラリーマンをする不安
これは①で書いたことと若干矛盾する部分もあるのだが、②の選択肢を考えた時に、どこかの会社に勤めることも少しは考えていた(勉強できる、というメリットがあるので)。

しかし、一度精神的に潰れて仕事を辞めているので、もう一度同じような環境(流石にそこまでひどくはないだろうが)に身を置くことができるのか、という不安があったのが一つ。

そしてもう一つは、こちらのほうが大きかったのだが、会社勤めをすることで、たこつぼに入ってしまうのではないか、という不安があったということだ。

前職の時もよく思ったのだが、勤め先のビジネスモデルや仕事のスタイルを見ていると、「こんな方法がこれからも通用するのだろうか?」と思うことが多々あった。それは、昨今よく言われる「グローバル化」や「フラット化」といったキーワードで表現される事象によって、世界が変化している中で、組織の中はまるで何も知らないかのように(本当に何も知らなかったのかもしれないが)、淡々と流れている毎日。そんな日々(これはいわゆる「安定」かもしれない)を過ごすことに、とてつもない恐怖を覚えたことは確かだった。

当時の職場を見ていると、自分とは一回り違う上司が、平日は文字通り仕事漬け、というものだった。そして、「大学を卒業して3年でも5年でも、会社勤めをする中で世界が大きく変化し、27歳や28歳になったときに急に何のツテもなく組織から放り出されたら、どうなるだろう?」という不安がとても大きかった。

例えば、サラリーマンで月に25万でも30万でも稼いで、結婚をしていて、そこで急に放り出されたらどうなるのか?今までのスタイルがデフォルトになって、生活をダウンサイズすることは可能なのか?

そんなことを、組織の中を見ながら常に考えていた。

(おそらく、僕はとても不器用な人間なのだと思う。会社勤めをしている人でも同じようなことを考える人は少なくないだろうし、恐らくそういう方の大部分は、仕事をしながら別のところで、自分のセーフティーネットを作っているのだと思う。ただ、僕にはそれができなかっただけの話なのだと思う。)


だから、たこつぼの中で3年過ごすなら、あらゆる組織に属せずに、個人として(あるいは起業をするかして)仕事をしていくほうが、23歳の自分にとっては良いのではないかと考えたのだ。
この3年くらいで、万が一詰みそうになってもそこから会社勤めに戻れば良いだろう、とは思っている。


今の仕事が好きだからできているのももちろんあるが、それ以上にいろいろと考えて、自分なりにリスクを考えて取った道が今の道だ。


上に書いたことが全て万人に通用するわけではないだろうが、自分の頭を使って考える大切さは万人に共通していると思う。