2013年7月11日木曜日

仕事にて

これはTwitterでもつぶやいたことなのですが、

クラウドソーシングサイトを経由して、翻訳家の方から「翻訳を手伝って欲しい」という依頼が来ました。
内容は、その方が受け持っているクライアントさんの本(文章)の英訳・文章チェックを手伝って欲しいというもので、そのデータと訳文、主旨説明の本(概要)を送って頂きました。

そこで、内容をチェックして見積もりを出して、どれくらいで担当させて頂くかの返信を待っていたら、
「作者の方は趣味で出版されており、無償で提供されているサービスや機能を駆使して安価で進めることを希望しており、ご希望の金額に見合いませんでした」
という連絡が来て、拍子抜けしてしまいました。

こっちは、「さすがにこの金額のまま通るとは思わないから、相手の希望も合わせて、内容擦り合わせやな〜」くらいに思っていたので、まさか何も交渉することなく終わってしまったことに、本当に驚いてしまった。

ボールがすっぽ抜けた感じ。

仕事が取れなかったことはなんとも思っていないのですが、「無償で提供されているサービスを…」なんていうのは最初に提示されていなかったので、そのあたりは後だしジャンケンにはしてほしくないな、とは思いました。

そして、それ以上に腑に落ちなかったのは、
「趣味でしているから予算が無い」
みたいなロジックで交渉の腰を折られたこと。

果たして、本当に「趣味でする」=「お金が払えない/予算が無い」なのでしょうか?

「趣味でしているから予算が無い」というと聞こえがいいですが、それは単に「お金を払いたくない?」ことではないのでしょうか。

例えば、旅行が趣味の人。
彼らは鉄道で旅行をするとき、キセル乗車をするのでしょうか。
船で旅行をするとき、券を買わずに潜り込むのでしょうか。

バイクや車が好きな人は、自分で車を買って、それを自分流にアレンジして乗り回しています。
お金がないからレンタカーを使う、なんて方はおられないでしょう。

カメラが趣味の人。
家電屋で一眼レフやカメラバッグ、三脚を揃えると思います。

趣味にしても仕事にしても、何かを手に入れるには(財でもサービスでも)、私たちは対価を払います。

外食する時も、映画を見る時も、家具を買う時も。

そこで払う対価は一般的に「お金」です。
だから、「趣味でやっているからお金がない」なんていうのは、ロジックでもなんでもなくって、「私はあなたに対価を支払えない」ということを婉曲的に表現しているだけなんですね。


今回の場合であれば、「機械翻訳で安価な〜」ということであれば、自分でネットを検索して、翻訳をすることが可能です。
もしくは、機会翻訳されたものをチェックする、という方法をとれば、もうすこしお互いにメリットが大きかったかもしれません。

僕は幸いにも、他にも複数仕事を頂いており、今回の案件は費やす時間とエネルギー(コスト)に見合った成果(ペイ)が得られないと思ったのであっさりと切り捨てました。

ただ、依頼して来た翻訳者も「ボランティアでやっている」と言っていたので、他に手伝う人が現れたら、それは搾取以外のなにものでもないな、と思ってしまいました。
(これは決して他人事ではない)。


翻訳という仕事柄、発注者は成果物の価値をきちんと理解できない(言語がわからなかったりするので)ことが普通だと思いますし、これは案外特殊な仕事なのかな、とも思い始めました。
(僕も以前、フランス語の翻訳を知人に頼みましたが、成果物を見てもまったく分からなかったので、いつもクライアントさんがどんな風に思っているのか、想像できました。)


でも、「成果物の価値がイマイチ分からない」というのは、案外他の(いや、全部?)仕事にも当てはまると思うのです。

例えばITのプログラマやデザイナーの方がおられますが、僕はその分野は全く分からないので、どんな風に仕事をしているのか、とか、その過程での苦労などわかりません。

逆に言うと、仕事というのは、全て「代行業」なのかもしれません。
言葉がわからないから、翻訳や通訳をその道のプロに代行してもらう。
ウェブが分からないから、HP作成やSEOをその道のプロに代行してもらう。
人材教育・採用、ものづくりでもなんでも、これは全てにあてはまるものなのではないでしょうか。

だから、そういうことに対して、時間とエネルギーを費やして自分の代わりに行ってくれる「プロ」には、きちんと対価を払うべきなのではないでしょうか。


以前、どこかで「給料は我慢料ではない」というような言葉(叫び)を目にしましたが、日本にはまだまだ拝金主義(お金を払う人が偉い・お金を稼ぐことは汚い)が蔓延っているのかもしれません。


いろいろと書いてしまいましたが、今回の件は決して他人事ではなく、自分もともすると「搾取する側」に回ってしまうことが十分にあると思っています。

「きちんと対価を払う」ということは、意識をしていても実行するのは難しいので、「他人のふりみて我が身を直せ」という言葉を謙虚に受け止めて、これからの自分が同じようなことをしないように心がけていこうと思いました。


日々勉強です。

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