2013年12月31日火曜日

2013年を振り返って

ブログ書かないでおこうかと思っていましたが、今年最後の締めくくりとして、書き残しておくことにしました。

1月。ワルシャワで年越し。直前に頂いた仕事がきっかけで、フリーランスとしてやっていこうと決める。10日頃に帰国して、それからは全然仕事がなかった。

2月。いろいろと寒い時期が続く。この辺りも、家に籠って勉強か仕事か、という毎日を過ごしてた。初めてCouchsurfingで人を泊める。その人のおばあさんの故郷が、僕が滞在していたポーランドの街であることがわかり、縁の不思議さを知る。

3月。上旬に台北へ。下旬には東京に行って、釜我さんとイベントを実施。この時に、自分が忘れていた感覚を完全に取り戻した気がする。「生きるって、こんなに楽しいものだ」と。
くしくも東京行きに合わせて大きな仕事が入り、東京にいる時も殆ど喫茶店にいたような。

4月。唐津さんとお会いする。なんでもずっとTwitterかなにかで追っかけて下さって、僕と会いたいということで。
こういう人の出会いが、やっぱり何にも変えられないし、嬉しいです。この月もCouchsurfingでポーランド人を泊める。

5月。以前から注目してたクラウドソーシングサイトで仕事が爆発的に増える。コネなし経験なしのフリーランスの端くれが、仕事をしていくという可能性に気づけた月だった。

6月。LinkedInでインドから仕事を頂く。下旬には群馬イノベーションアワードのSNSプロモーションという、やったこともない仕事を半年間させて頂くことに。両方、自分が発信をしていることでさせて頂いた仕事だったので、「作り込みと発信を続けること」の大事さを改めて確認することができた。

7月。仕事が徐々に増え始める。中旬から下旬にかけては、群馬イノベーションアワード関連で群馬出張の後、フジロックフェスティバルの通訳の仕事も回ってきて、二週間連続で東京経由の出張に。もともと旅、移動が好きな人間なので、こういう仕事もいいな、と思った。

8月。小休止の時期。お盆にインドから「日本を紹介するフリーペーパーをコミケで撒いてくれないか」という依頼が来て、準備も始める。この企画は直前で中止になったが、クラウドファンデングやイラレ、マネジメントなど、普段の仕事とは違うことを沢山学べた。

9月。この月からクールジャパンマッチンググランプリの全国行脚を始める。続けた結果、それほどリターンは見込めないことが分かったが、旅行もついでにできて楽しい経験になった。

10月。初の超大型翻訳案件を担当することに。プロジェクトが終わった11月末まで、一番頭を使って勉強した時期だったと思う。

11月。翻訳に明け暮れる。ひたすら引きこもった月。

12月。群馬イノベーションアワードの締めで群馬・東京に行った後は、小さな仕事や14年の仕込み作り。後半は間延びしてしまったけど、最後の最後で来年の仕事が複数入って、とりあえず安心して年越しができることに。



と、こんな風な一年だった。

ここに書いていないことも沢山あるし、いっぱい遊びもしたけれど、一番気づけたことは以下の二つ。

・前進しようとすれば、なんとかなる
・一年という時間は思った以上に長い

最後は「自分でなんとかしよう」と思わないと、なにも起こらないし何も変わらない。自分でなんとかしようとするから、必要な人や助けが現れてきて、前に進めるのだと思った。

そして、一年間続ければそれは大きな強みにもなる。
年明けは実績ゼロ経験ゼロだった自分が、あの手この手で仕事を獲得し、実績を作ることがこの一年でできた。


このペースで進むと、次の一年はどこまで進むことができるのか。不安もあるけれど、それ以上にワクワクが大きい。


まだまだ分からないこと、できないことも多い中で、この一年はフリーランスの最初のステップとして忘れられない年になった。

あまりに多くの人に助けて頂き、感謝してもしきれないのが実際のところだが、受けた恩は何らかの形で、一人ひとりに返していきたい。


この一年、一つだけ心残りがあるとすれば、殆ど海外に行かなかったこと。

もっともっと、広い世界を見て、広い世界で生きる。

それが2014年にやりたい一番大きなこと。


そのために、毎日の積み重ねを大事にして、亀のように邁進することを忘れずに、2014年も「前進」の一年にしたいと思う。



ブログを移行してからも多くの方に読んで頂き、感謝の気持でいっぱいです。

2014年も、当ブログをよろしくお願いします。

2014年が皆さんにとって、いっそう素敵な一年でありますように。

2013年12月30日月曜日

弾丸台北旅行記(4)

台北二日目。

まずは台北駅周辺をウロウロ。




駅から歩いて10分くらい。市庁舎みたいな建物だった気が…。


台北駅。大通りから見ると、また迫力が違います。

そして、大学の後輩が偶然台北に来ているというので、駅で待ち合わせて昼ご飯(?)
を食べにいきましたw


左側→まろやかな味のスープ

右→小籠包

スープはおいしくて有名らしく、本当においしかったです。
こういうの調べてこないから、一人で食べると全く分からないw

その後は再び単独行動で、足を伸ばします。




台北の前は韓国のソウルにいましたが、こういう雰囲気の建物がありました。

アジアはあまり行ったことがないけれど、これはこれで良いかもしれませんね。





旅行で唯一心残りがあるとすれば、この近くの公園を歩いていた時に、人生で始めてカワセミを見たのに、望遠レンズを持っていなくて写真を撮り損ねたこと。

荷物の関係で持ってこなかったけど、まさかこんな形で仇になるとは…。



最後は、台北駅近くの歓楽街をブラブラして、有名らしい麺を食べました。

ちょっとどろっとしていたけど、めちゃくちゃおいしかったです。


そしていよいよ、空港に向かって帰国です。



台北は物価も安く料理もおいしく、とても楽しい旅でした。温かくて気分も明るくなりますね。

この旅は2013年3月にしたもの。

今度は2014年2月に、これまたPEACHを使って高雄から入り、台湾一周をする予定です。(台北では仕事仲間の人に誘われて、台湾最大のコミケを見に行ってきます。日本でもコミケには行ったことありません。笑)


その時の旅行記は、もう少しはやく書きたいですね(汗)

2013年12月29日日曜日

弾丸台北旅行記(3)

台北駅に着いて、ここでCouchsurfingのホストと待ち合わせ。

人が多くて分からなかったけど、なんとか合流。


泊めてもらう前に、台湾鉄道に乗って松山夜市を目指します。

台北駅から一駅。









賑わっていました。

食べ物もたくさんあったのですが、手持ちの現金が限られていたので殆ど食べずに、散策だけ。

でも、とうもろこしを焼いて?トッピングをした食べ物のように、面白い食べ物もありました。(大阪のたこ焼きみたい!)


この赤提灯が、やっぱり好きだな〜


その後更に、別のところに歩いて…


なんだったか、何かの記念館でした。


ここから更に地下鉄に乗って、終着駅から歩いて無事に家に付き、泊めさせてもらいました。



2013年12月26日木曜日

弾丸台北旅行記(2)

九份を散策します。




思っていたより狭い道。




焼きエリンギ。タレがおいしかった。



この急な坂はなかなかのもの。


赤提灯が、中華圏というイメージを強くします(勝手なイメージかもしれません)


オカリナが売ってあった!!

一応オカリナ吹くので、欲しかったですがリュックに入る量が限られているので、今回は見逃しました。

(アルトC管を持っているので、ソプラノC管が欲しかった。そして日本で買うより安い!)



こんな急な坂をバスが通ります。

帰りは下りなので、頑張れば瑞芳の駅まで行けるのかも。
バスも本数が限られているので、せわしなく回るのなら注意が必要。

瑞芳の駅に戻ってきました。



この列車で台北に戻ります。
雰囲気がありますね。


中国語(台湾圏?)ではプラットフォームを「月台」と言うみたいです。


台北に着いた後は、Couchsurfingで泊めてもらう人と合流です。

前の記事はこちら。


2013年12月25日水曜日

弾丸台北旅行記(1)

もう9ヶ月以上前のことですが…


弾丸一泊二日で台北を旅行してきた時の話です。
(2013年3月6日〜7日)

Peachも飛んでいるから、安くいけるな〜」と思っていたら、本当に安い航空券が落ちていたので、ぽちって渡航。

往復12,000円(諸々込み)で買えました。


関空朝7時台出発、帰りは22時着なので、前後は空港で泊まらないといけませんでしたが(3月なので寒かった。あまりお勧めできません)、なかなか楽しかったです。




当日は晴れ。関空第二ターミナルを使うとワクワクしますね!




3時間強のフライトで、台北到着。桃園空港からは台北駅までのリムジンバス?を利用。125台湾ドル。1時間で約400円。安いです(笑)


腹ごしらえ。20台湾ドルくらいだったような。

なにするかあまり決めていなかったのですが、台湾マッサージは行こうと思っていたので、まずは駅近くのマッサージ店を探します。

見つかったのですが、「地球の歩○方」に乗ってた地図と通りが一つ違っていました。
前にフランスでも同じようなことがあって、行きたいホテルの目の前で引き返して時間食ったことがあるので、こういう旅行系の地図はしっかりと書いて欲しい。僕はデフォルメされた地図が大の苦手なので…。

2時間のコースで、6,000円くらいだったような。日本よりは安いんですかね。
ぼくはこそばがりなので、マッサージ中そのことつっこまれまくりでした。笑

更に、独学で覚えたつたない中国語を使っていると「あんた台北の駐在員かい?」と店員に間違われ(笑)、

「いえいえ、違います。」

『じゃあこっちの社員?』

「いえ。ただの旅行です。」

『え?でもすごく中国語うまいよ。』

「独学です」

『じゃあ、支払いのクレジットカード手数料まけてやるよ』

…という流れになって、100元ぐらいまけてもらいました。笑 まさか駐在員に間違えられるとはw



その後はとりあえず九份には行こうと決めていたので、駅から電車を使います。


瑞芳駅。ここからバスに乗り換えます。

で、だんだんと坂を上っていくと…



なんだか綺麗な建物がありますね〜



九份からの眺め。ブログのトップ写真にも使っていて、なんだかんだで好きです(笑)

個人的には、九份の町並みよりこっちのほうが好きですね。




2013年12月24日火曜日

決断を重ねる、という訓練

ここ一ヶ月で、大きな買物を何度かしました。


買ったものは全て、海外航空券。


年明けはベトナムに、大学の同級生の結婚式に参加し、

二月は台湾でコミケを見に行き、

三月はトルコ、ブルガリア、ギリシャを回る予定です。


Peachカタール航空のプロモーションに乗じて航空券を取ったので、普通よりだいぶん安い金額でチケットを買って入るのですが、それでも仕事もまだまだ安定していない自分にとっては、大きな買物でした。



今年もクールジャパンマッチンググランプリの全国行脚のため、度々航空券を買いましたが、それでも額が額なので、買う直前になると何度も自分に問い直します。


最後は絶対に「買う」なのですが(笑)、そこに辿り着くまでには、自分にとってはものすごい決断の繰り返しです。(器ちっちゃいw)


でも、先日ふと思ったんですが、「決断する」ってある意味ではなんじゃないでしょうか。

僕も度々「決断」をしていますが、これを繰り返ししていることによって、いざという時にも決断できるんじゃないか、と思います。


よく、「お金があれば〇〇する」って話がありますよね。

あれって、しっかりと考えてみると、本当に必要なのは「お金」じゃなくって、「決断すること」ではありませんか?

もし、手元にポンと100万円でも1000万円でも入ったとして、「もともと欲しかった/使いたかったこと」に使えるかどうかは、全く別問題だと思うのです。

(僕は、もしそれだけのお金が手元に湧いても、それを実際に使うかどうかの決断には時間を使ってしまう気がします。こんなこと書いてても、実際には手元に湧いてきませんがw)


できることとすることは大違いなんて言いますけど、ほんとその通りだと思いますよ。


特に、大きな額が動く時には、誰だって決断には時間がかかるもの。(起業家なんて、そういう最たる例ですよね。)


いくら金銭的、時間的自由があっても、それを自分が望んだように使えるということは、全く別のことだと思います。
(だから、「30歳で起業する」なんて言っている人も、今のうちからやっておくべきことは「お金を作る」ことじゃなくって、「決断すること」なんでしょうね。)


案外僕がやっていることは、今小さな決断をするということを繰り返して、今後しなければならないであろう大きな決断をきちんと下せるための訓練なのかもしれません。



新品価格
¥820から
(2013/12/24 18:43時点)

2013年12月23日月曜日

人から求められることが、自分の本当の強みで、自分に必要なこと

今年も後、10日を切りました。

ちょうど一年前は、ポーランドでこれ以上ないクリスマスと年末年始を過ごしていた訳ですが、


去年の本当に暮れの暮れ、12月30日くらいに、知り合いの人から仕事の相談を受けました。


去年のクリスマスの時期はネットが繋がらず、年末にようやく繋がった時に確認したメールに、「年明けの締切で翻訳の仕事をしてもらえないか」という文章が書かれていました。


その仕事の額が額だったので、「これは翻訳いけるんじゃないか」と思って、とんだ勘違いをして一年間生きてきた訳ですが(笑)、よくよく考えると、この一年間でした仕事の半分以上は、「人から求められた」ことだったと振り返って思います。


いえ、「仕事なんて全部人から求められるものじゃねえか!」っていうことではなくって、


自分から動かなくても、向こうから「こんなことをしてもらいたいんですけど」という風にやってきた、という意味での「求められる」ということです。


翻訳という仕事は、求人を見つけて応募して、トライアルを受けて通って、というのが一連の流れで、仮に会社に登録しても、そこから定期的に仕事がやってくるわけではありません。

そして求人探しも含めて、全部自分から動いていく必要があります。


ですが、この一年でさせて頂いた仕事の多くは、自分が予想もしていなかった形で「向こうからやって来」たもので、それは他ならない「自分に求められていた」ことなんだろうな、と思いました。


例えば、フジロックフェスティバルでの通訳の仕事は、登録している会社から「欠員が出た」ということで、はるばる関西にいる自分にまで連絡を頂きました。
(この前に、同じ斡旋会社が出していた別の仕事に応募して、そこは落ちたのですが、その時に覚えてもらって、こんな風にやってきました。)


他にも、LinkedInに英語でプロフィールを書いていたらインドの企業から目をつけてもらって、定期的に翻訳の仕事を頂いたり。
LinkedInで仕事獲得


そして、一番驚いたのは、群馬イノベーションアワードのSNSを使っての告知をして欲しい、という仕事を頂いたこと。

これは、僕がTwitterやFacebookを上手く?使っているみたいで、それに目をつけて下さった知り合いの方が、「始めての試みなので」ということで、お電話を下さいました。



これ以外にも、最終的には実現できませんでしたが、インドのコミケに参加しませんか、というメールをもらったり、海外からのお客さんの日本案内をしないか、という連絡を頂いたりと、この一年は自分でも動いていましたが、それ以上に回りからいろんなことを頼まれ、求められて仕事をさせて頂いた、ということが本当に沢山ありました。



こんな経験をして思うのは、「人から求められることが、自分に本当に必要なものなんだろうなあ」ということです。

自分が好きなことや得意なことって、案外自分では分かっていません。

それを、他の人が「これ上手いから」「これしたいって言ってたよね」という風に、知ってもらっていると、それは他人が客観的に知っていることなので、整合性は強いのではないでしょうか。

もちろん、時には「いやいや、そんなことやったことありませんよ!笑」なんて依頼や仕事が来るんですが、それでも絶対に学びになる、ということと、経験になる、という二つだけで、時間とエネルギーが許す限り、全部引き受けさせて頂きました。

だって、人から求められたことなんですから。
それ自体が、何にも代え難い喜びです。


それを通して、自分の過去の経験や学びを活用できたり、新しく知りたいこと、知る必要があることが分かり、次に繋がっていきます。


さて、来年はどうなるのか。
不安もありますが、楽しみも十分にありますね。

2013年12月22日日曜日

「大学は人生最後の夏休み」っていう教育、いい加減止めた方がいいんじゃないかと。

大学生のとき、よく回りで「大学生活は人生最後の夏休みだから〜」という文句を聞いていました。
(厳密にいうと、卒業シーズンの春休みかも。はっきりと覚えていない)


「本当にそうなのか?」

と思って、当時(特に大学1、2回生の時)はビクビクして過ごしていましたが、特に大学生活後半には、いろんな活動に飛び込んで、勉強させてもらって、「大学生活が人生最後の夏休みなわけないだろ!」と気づいて、今フリーランスで仕事をしている自分がいます(笑)


と、こんな風に書きましたが、実際は卒業する時期に6週間ヨーロッパをうろうろして、正直「こんなことがもう人生でできないなんて、なんてつまらないんだ」と思ったのが、一番の要因だったようなきがします。



あの時は「人生なんて大学卒業してからがなんぼじゃい!」と、根拠がなく意味不明な意志を持って(笑)生きていました。


でも、この2年くらいでいろいろ経験することができましたが、本当に「人生は大学卒業してからが始まり」だと思いますよ。

大学の時って、一見自由なように思えますが、授業があったり単位があったり卒論があったり、休みも多いとはいえ時期が決まっていて、思ったほど自由じゃありません。(僕はそう思いました)

お金もそんなになかったですしね…。


沢木耕太郎は、「深夜特急」の中で「海外に出るのは26歳が一番良い」と説いていましたが、確かに、ある程度歳を取らないと分からないことも、あるんじゃないかと思います。


もっというと、本当に楽しいですよ、今。

自分で仕事して、お金を作ってそれで旅をしたり、仕事のご縁が重なって新しい仕事に繋がったり、出会いがあったり。

大学の時が悪かった、とは思いませんが、それ以上に今の方が楽しいです。


これは唯一、自信を持って言えます(笑)


だから、「大学は人生最後の夏休み」だなんて考え方、捨てた方がいいのになー。


なんて思いますよ。


あ、でも結局、自分の人生を選んで生きるのはその人自身なので、別に強制はしません。ただ、口から発する言葉は思った以上に力があって、呪いになることも知っておいた方がいいかもしれません。


新品価格
¥452から
(2013/12/22 16:58時点)

2013年12月21日土曜日

「アルケミスト」に書かれてある一節が、人生の本質を表していた。

この年でようやく「アルケミスト〜夢を旅した少年」(角川文庫)を読んでいるのですが、そこに出て来た一節がこれ以上ないほどに、人生の本質を表していたので、今回はこれを抜粋します。

新品価格
¥580から
(2013/12/21 13:30時点)


〜〜以下抜粋〜〜

「もし僕がここにとどまったら、どうなるのですか?」

「どうなるか教えよう。おまえはオアシスの相談役になるだろう。たくさんの羊とたくさんのらくだを買うためのお金も、十分に持っている。ファティマと結婚して、二人とも一年間は幸せに過ごす。おまえは砂漠が好きになり、五万本のやしの木の一本いっぽんを知るだろう。それは、世界が一刻一刻変わってゆくのを証明しながら育っていくだろう。おまえは前兆の読み方がどんどんうまくなってゆく。それは、砂漠が最高の先生だからだ。

二年目のいつ頃か、お前は宝物のことを思い出す。前兆が執拗にそのことを語り始めるが、おまえはそれを無視しようとする。お前は自分の知識をオアシスとその住民のために幸せのために使う。族長はおまえのすることに感謝する。そして、おまえのらくだは、おまえに富と力をもたらす。
三年目にも、前兆はおまえの宝物や運命について、語り続けるだろう。おまえは夜ごとにオアシスを歩き回り、ファティマは、自分がおまえの探求のじゃまをしたと思って、不幸になる。しかしおまえは彼女を愛し、彼女はおまえの愛にこたえる。おまえは、ここにいてくれと彼女が決して言わなかったことを思い出す。砂漠の女は、自分の男を持たなければならないと知っているからだ。だからおまえは彼女を責めはしない。しかし、おまえは砂漠の砂の上を歩きながら、もしかして自分は行けたのかもしれない…もっとファティマへの自分の愛を信じることができたのかもしれない、と何度も考えてしまう。なぜなら、おまえをオアシスに引き止めたものは、二度と帰って来ないのではないかというおまえ自身の恐れだったからだ。その時、おまえの宝物は永久に埋もれてしまったと、前兆は語るだろう。

そして四年目のいつか、前兆はおまえを見捨てるだろう。おまえがもう、それに耳を傾けるのを止めてしまうからだ。部族の長たちはそれを発見して、おまえは相談役の地位を解かれてしまう。しかし、その時にはおまえは金持ちの商人になっていて、おおくのらくだや商品を持っている。おまえはその後の人生をずっと、自分は運命を探求しなかった、もうそうするには遅すぎると思って、暮らすだろう。」

〜〜〜〜

いや、この本は読みたい読みたいと思っていたんですが、所詮ただの旅の本だろうと思ってタカをくくっていたのが間違いでした。(実際には、Kindleのセールで安く手に入れられた、というのもありました)


特に後半。自分はいままで、こんな風にだけはなりたくないと思って選択をしてきたから、心に沁みました。

なかなか深みのある話なので、興味のある人は一度読んでみてはいかがでしょうか。


新品価格
¥580から
(2013/12/21 13:30時点)